江戸東京博物館〜ちゃんこコース | 0歳からの早期教育@西洋占星術&九星気学/25年中学受験

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あらゆる早期教育、教育法を試して子どもにぴったりの接し方や、育て方を日々考えています。勉強中の西洋占星術&九星気学の視点からもより良い教育、子育てを考えてます。

今日はまだ夏休みの長男と二人で江戸東京博物館へ。

長男が年長のころに一度、次男と一緒に連れて来たことがありますが、もちろん覚えていませんでした。

前回は、ただ自由に見学しただけでしたが、なんとこちらは、音声ガイドも、ボランティアツアーも無料なのです。

早速、音声ガイドをデポジット千円払って借り、さらにボランティアツアーに申し込みました。

星

ボランティアの方は5.60代のおばさんでした。

一時間半ほど見学することを考えていると伝えると、全てまわるには時間が短いらしく、どこをまわる?と聞かれたので、とりあえず江戸コーナーをお願いしました。

まず、6階の展示室の始まりは、目の前に日本橋がドーンとあります。

修学旅行生がドカドカと走り回っているのを横目に、

「この橋は、あのように渡るものではありません。日本橋は、当時の人にとって特別な橋であり、この橋をわたるということは大変、名誉なことだったのです。」と。

日本橋は江戸の中心であり、富士山や江戸城が一望でき、五街道のスタート地点でもあります。

今でも東京から名古屋、大阪など距離を測る際の基準となっている日本橋。
当時いかに日本橋が栄えていたかがわかります。

博物館の日本橋を渡ると、当時の街並みがミニチュアで再現されています。

私たちから見ると、ありきたりな平家造りの建物が連なっているように見えますが、道路の幅も広くとってあるなど、当時としては最新式だったそうです。

中には今も残るお店がいくつかあるそうで、にんべんや海苔の山本山などは当時から変わらず日本橋に店を構えているのだと語っていました。

確か日本橋には某食品卸売大手の本社もあります。
今では中抜きといって問屋抜きのメーカーと小売店の直接取引されることが多くなり、いつ問屋が廃業するかと言われて久しいですが、日本橋のまさにど真ん中に本社があることからして、当時いかに卸売業が力を持っていたかが分かるように思います。

星

日本橋の街並みの横には、大名の家があります。
家康の孫である松平家が再現されていましたが、大名のお屋敷とは別に、そのまわりを取り囲む大きな門構えの中が、平家建ての寮のような作りになっていて、そこが参勤交代で地方から赴任してきた大名たちが暮らす部屋だという話でした。


また、江戸は階級社会であり、決まりごとも多く、将軍や大名に拝謁する時の位置など畳の目単位で細かく決められていたとのことです。

一方で、広大な敷地にお屋敷を建てる将軍や大名と裏腹に、町人の暮らしは質素なものでした。

江戸の町を階級別に比率で分けると、武士が7割近くもの敷地を占有していました。
町人が16%、神社仏閣が17%程度という話でしたが、人口は武士も町人も同じというので、いかに町人が狭い場所できゅうきゅうに暮らしていたかがわかります。


一般的な庶民の家。向かって左の中央に見えるつづらに、大切なものを入れて火事の際には持ち出していたそうです。

舌切り雀など昔話には
「大きいつづらがいいですか?
小さなつづらがいいですか?」と、「つづら」という、今では聞きなれない単語がでてきますが、江戸時代において、つづらというのはどこの家にもある、大切なものをしまう場所だったのですね。



野菜の量り売り。

持つだけで精一杯で、歩くことなどとてもできない。

他にも、桶二つがぶらさがった竿を持つコーナーがあり、みんな嬉々として持っているものの、実はその桶は当時、トイレの汚物を入れて運ぶものでした。

当時のトイレは共同トイレであり、外に設置されていますが、不審者対策のため、衝立は下半身しか隠れず、顔は丸見えのまま用を足さなければならない作りになっています。

気まずいガーン

しかし江戸の町は下水道が整備されているのには驚きました。
元々、江戸は入江の江にドアの戸と書いて江戸と読むことからも、海の玄関口であり、井戸を掘ろうにも下から海水が湧き出てしまい、飲用水や生活用水の確保が課題だったそうです。

そこで早くから、玉川上水など水を引くことを考えたそうで、水道管は丸太の中を切り抜いたものをつなぎ合わせる形のものが展示されていました。

また、各部屋の水場で調理や洗濯など水を排水するのも、使った水は下水道を通っていくようになっており、当時としてはよく考えられていると感じました。

江戸東京博物館は両国駅にありますが、両国という地名の由来は、江戸と上総をつなぐ橋があったことからつけられているそうです。

治安の関係上、東京から千葉方面に行く方法はこの両国の橋を渡るしかなかったそうですが、明暦の大火という、大きな江戸の火災をきっかけにして、江戸から火の手を逃れることができずに亡くなった人が多かったことから橋が多く作られるようになったそうです。

その江戸の火災ですが、当時の花形職業の一つに、まといと呼ばれる竿をもち、屋根の上に乗ってかかげて声をかける「火消し」がいたそうです。

消防車などが輸入されるのは明治のことなので、それまでは火消しのまといと、銛のような建物を壊す道具が火消しの必需品だったといいます。

屋根の上に乗って竿を突き上げて火事を知らせる無駄この上ない火消しが花形なんて、時代によって人気職業は変わりますね。

ガイドさんと1時間半かけて江戸を巡り、明治から近代を一時間弱二人で巡りましたが、
ガイドさんと巡るとより展示を堪能できる!

次回もガイドさんをお願いしようと思いますラブ
ボランティアツアー、おすすめです。

星

帰りは、もちろんちゃんこ屋さんへ。東口から目の前、安美錦という関取が作った、安美というちゃんこ屋がありました。

ちゃんこ屋一人前、864円。安すぎる。


締めは雑炊。


とても美味しかったです。