完全に兄がこっちへ来る前1度だけ喧嘩した。
何がきっかけだったかハッキリ覚えていないけど、私の話し方が兄は気に触ったのかな?
何かと頼み事(お金絡み)をしてくる兄に正直イラッとはした時があった。
ちょっとした私の話し方を敏感に感じとって、わだかまりが生まれた。
兄は父によく似ていたから、1度自分の沸点を越えると手が付けられない。
感情に任せて
「やっぱり俺なんかおらん方がいいんやんか!!」
「そんなん一言も言ってないやろ!私だってみんなの為に頑張ってるんやんか!なのに、みんな自分の事ばっかりで!」
そんな言い合いをした。
息子が、私によってきて
「まーくんにごめんねした?」
なんて訳も分かっているのかいないのか分からずとも聞いてきた。
冷静になって
「まーくんごめんね。いがみ合うのはよそうや。これから一緒に暮らしていくんやし、おらん方がいいとか思ってないから。ご飯出来てるから後で食べりね」
「…」
その日の帰りしな
「ごめんね」
兄が謝って目も合わせず帰って行った。
大人になると素直に謝るのって難しい。
息子の一言で冷静になれたし、全てにおいて一方的に相手が悪いことなんてほとんど無いのだと思う。
きっかけがどっちかにあったとしても、それに対しての自分の態度はきっと良くはなかった。
大人になってお互いが 「ごめんね」なんた謝りあえるとは思ってなかった。
だけど、これ以来喧嘩も言い合いもしていない。
兄との生活が始まって8ヶ月。
私はとても穏やかに暮らしている。
旦那は出張が多いし、息子には障害がある。
そして、この前は不妊治療を経て待望の第2子を妊娠したものの、心拍3回確認後の11週稽留流産した。
現実と向き合うのが辛く、またオーバードーズした。夢うつつの中過ごした。
手術が終わって家に帰ってきてからは、比較的頑張って過ごしていたけれど、兄の存在によって早く立ち直れたと思う。
旦那が主張中に一人であれこれ考えて泣き過ごしていたら、きっと今より心病んでいたと思う。
話し相手がいることと、何よりそばに誰か居てくれるのは全然違った。
私が闇落ちしている間、兄と旦那が密に連絡を取り合っていたことは知らなかった。
旦那が
「まーくんが居てくれるから安心。ごめんね」
なんて会話を交わしていたことなんて私は知らなかったから。
体外受精の度に
「くっつけーーー!!!!」なんて着床を願って念力を飛ばしてくれていた兄。
いつもポーカーフェイスでクールなくせに、そんな事するのかと笑ったものだ。
「赤ちゃんだめだった」
たった一言LINEするのが精一杯だった。
それでも、私がちゃんと前を向けるように皆が静かに支えてくれた。
妊娠してから居なくなるまでたったの3ヶ月。
慌ただしい時間だった。妊婦さん見るのは正直辛い。兄妹見るのもつらい。
でも、死にたくはない。
私はまだ歩ける。
ちゃんと笑えてる。
頑張ろう。