「鬼と般若の違い」
日本の多くの神社や寺院で
二月三日の節分の夜、
鬼は外と煎り豆を打っています。
この行事はいつの頃から発生したのものか?。
この風習は
室町時代の公家の家から起きた
とされています。
それが公家達の間で広がり、
やがては庶民に伝達されたとされます。
それほど古い話ではないのです。
何故、この鬼を
節分の煎り豆で追うことが
[艮]なのだろうか?。
人を恨(艮の心)むと、
般若(鬼)面と化す
日本人の大多数は
表面上は仏教徒で、
般若心経と呼ばれる御経を知っています。
天台経、毘盧舎那経、阿含経、華厳経、般若経、
法華経、一切経(大藏経)等
の御経から選び出された
お釈迦様の教えを短く集約したもの。
この般若とは、
自分自身を省みずに
他の人を
妬んだり恨んだりすることで
般若の面を被る者。
実際に霊界に関わると、
こうした般若面姿の者は多数見られる。
そうした般若となった者達に対して
説く御経が般若心経。
一切が「空」だと教えてやらないと、
そうした霊達には解らない。
そうした霊は [色]に執着して来たのです。
俗に夜叉と呼ばれる者達も、
こうした般若面を必要とする一員。
そうした般若(鬼)面の者と、
牛頭で虎パンツに金棒を持った者は
別の存在。
平の清盛が死の病に伏せた時、
地獄から鬼達が
火の車で迎えにやって来る夢
にさいなまれた。
地獄閻魔庁の邏卒達。
公家(貴族)や権力者にとって、
地獄から迎えにやって来る鬼は
恐ろしき者。
地獄の鬼が恐ろしいのならば、
その前に自分を反省すべき。
自分がした行為を
反省しないで
鬼は外はないでしょう。
逆に鬼は内。
自分の悪いところは
地獄の鬼に叱ってもらう
べきことなのです。
『第二章・節分の煎り豆に花が咲く』
「インドでは、牛と虎は神の化身」
神之公園さんHPより抜粋
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まだ、日中は暑さが厳しいです、水分補給等、
体調に気をつけてお過ごしくださいね。
惟神霊幸倍坐世 かんながらたまちはえませ。
神と倶にある人④終
爛漫(らんまん)たる花の香に酔ふ春の光も、
次第に薄らぎ、青葉の茂る夏となり、
木葉の散り敷く秋の淋しさを迎へ、雪の降る冬となつて、
万木(ばんぼく)万草(ばんさう)枯死(こし)の状態になるは、
天地(てんち)惟神(かむながら)の大道である。
香の好(よ)い釵(かんざし)の花を嬉しう翳(かざ)した
天窓(あたま)の上に、時雨(しぐれ)が降り、
愛の記念の指環を穿(さ)した白魚の手に
落葉がする世の中だ。
花の山が青葉の峰と忽(たちま)ち代(かは)り、
青葉の峰は木枯(こがらし)の谷となる。
辛い経験は、人生にとつて免がれ難き所である。
然(しか)し乍(なが)ら、
人間は決して斯(こ)んな悲惨なものではなく、
永遠の生命と永遠の安楽とを与へられて
世に生まれ、大なる神業を以(もつ)て、
神の御用の為に出て来たものである事を
覚(さと)らねばならぬ。
それは只(ただ)神を知る事に依(よ)つてのみ
得らるる人生の特権である。
三鏡 『月鏡 』出口王仁三郎著 神と倶にある人④終