おはようございます
前編の「初節句 前夜祭」に続き…
(3月16日アップ)
今回は後編として…
光(ひかり)ちゃんの…
と、帰路の途中で訪れた…
の模様を纏めます
一夜明けて…3月3日(日)は…
午前11時
さきちゃん&じゅんくんの自宅に全員が参集し…
ブランチを兼ねたお祝い会が開かれました
テーブルに並べられたお料理の数々
アップにすると…
そして…
更に…
デザートは…
それでは…
初節句ケーキを前に…
続いては、全員で…
改めて…
光ちゃんの初節句を祝して…
続いては、親子で…
更に、全員で…
以上で、一連の初節句祝いはお開きとなり…
まっちゃん とろっきぃ
は東京へ戻るのですが…
その前に…
さきちゃん、ひかるちゃん、じゅんくんと一緒に…
到着は13時30分
先ずは正門の手前で…
日本三名城の一つ「名古屋城」は…
関ヶ原の合戦後に徳川家康が、なお隠然とした力を持つ豊臣家に対する最重要拠点として築城。
普請を命じられたのは加藤清正ら西国大名20家(旧来の豊臣家臣で外様大名)で…
石垣には大名の刻印・刻紋
が多数残されています。
しかし…
太平洋戦争末期の昭和20(1945)年5月、米軍の空襲により天守閣や本丸御殿など多くの建物が焼失
その後…
昭和34(1959)年に天守閣と正門を復元。
更に、平成30(2018)年には本丸御殿も復元されました。
さきちゃんとまっちゃんが…
入場券を買っているあいだに…
光ちゃんの初登城を祝して…
さぁ
入門です
「正門」は…
明治43(1910)年に江戸城の蓮池御門が移築されたものだそうです。
しかし…
(前述の通り)米軍の空襲で焼失
その後…
昭和34(1959)年、天守と共に、ほぼ昔どおりの外観
で再建されました
次の見どころは…
「隅櫓(すみやぐら)」は…
4ヶ所ありましたが、北東隅櫓は米軍の空襲で焼失
一方、西南隅櫓
と東南隅櫓(後述)そして西北隅櫓は往時のままに現存し、国の重要文化財に指定されています。
勿論ここでも…
西南隅櫓の先の「西の丸」広場で開催されていたのが…
(正門に掲げられていた立て看板にもあった…)
勿論ここでも…
西の丸広場の先にあったのが…
そして、いよいよ…
現在「天守閣の木造復元工事中」(完成は最短で2032年度)ということで登城は不可でしたが…
記念写真を撮ってくれる列が出来ていました
ということで…
その列に並びます
待っている間にもう一枚
そして、プロの写真がこちらです
見どころはまだまだありますが…
「ブログ一回当たりのアップロード容量」の関係で…
私が最も訪れたかったのみをご紹介します
それが…
「本丸御殿」とは…
尾張藩主の住居かつ藩の政庁として慶長20(1615)年に完成しました。
内部は障壁画や飾金具などで絢爛豪華に飾られ、江戸時代の先端技術を注いだ近世城郭御殿の最高傑作と称えられるほどでした。
昭和5(1930)年には、城郭では天守閣と共に国宝第一号にも指定。
しかし…
(前述の通り)米軍の空襲により焼失
その後…
第一級の史料をもとに復元工事
が開始され…
平成30(2018)年、往時の姿が復元しました
それでは…
まずは…
玄関前で…
来客は、突き当りの部屋に通されます。
それが…
ここから各部屋へ
① 表書院(おもてしょいん)
上段之間、一~三之間、納戸之間の5部屋で構成され…
上段之間は藩主・徳川義直(よしなお)が座る部屋で、座敷飾りは息を飲む美しさです。
② 対面所(たいめんじょ)
藩主や身内が私的な用事や宴会に使用した部屋で…
上段之間、次之間、納戸一之間、納戸二之間の4部屋で構成。
表書院とは異なり、落ち着いた優美な装飾が特徴で…
上段之間や次之間の「風俗図」(障壁画)は、京都や和歌山の風景が描かれています。
③ 上洛殿(じょうらくでん)
本丸御殿で最も豪華賢覧な部屋で…
上段之間、一~三之間、松之間、納戸之間の6部屋で構成。
細部まで贅沢な装飾が施され、狩野探幽の「雪中梅竹鳥図」などの名画も楽しめます。
これらの他にも…
まであるんですよ
こうして…
名古屋城を満喫したまっちゃん と私
は…
富士山も最高でしたよ
〆の一句です。
ではでは
ろっきぃがお送りしました