おはようございます
江の島日帰り観光(全5回)の第2回です
今日のテーマは…
三社三拝
この日(2月21日)は12時半頃に小田急線片瀬江ノ島駅に到着
片瀬江ノ島駅は、以前から竜宮城を模したデザインで知られており…
さらに、令和2(2020)年に新築された現在の駅舎は、まるでテーマパークにある建物のようです
駅のすぐそばから江の島弁天橋が始まり…
その先に目指す江の島がくっきりと見えました。
江の島弁天橋からは絶景の富士山が
昭和34(1959)年に架け替えられた江の島弁天橋は長さ389m(歩行者専用部分)。結構歩き甲斐がありますよ
隣には自動車専用の江の島大橋が
(画像出典:360@旅行ナビ)
江の島に到着
青銅の鳥居が迎えてくれます。
文政4(1821)年に再建された青銅の鳥居
青銅の鳥居から、弁財天仲見世通りが始まります
両脇には沢山の食事処や土産店が
食事処のショーケースはとても魅力的
(既に午後1時過ぎですから、お腹も…グー。。。 )
弁財天仲見世通りの先にあるのが朱の鳥居と端心門(ずいしんもん)
朱の鳥居は、昭和11(1936)年に、山田流筝曲(琴)の家元である林敏子という方が再建・寄進したものだそうです
(イメージ画像)
端心門は竜宮城を模して造られたもので、「清々しい心で参拝していただけるように」との思いで命名されたそうです
突き当りには、弁財天像・童子像が
(画像出典:♂鶴岡八幡宮・御朱印♂)
弁財天像・童子像は、「江島縁起」の一場面である弁財天降臨を表現したもので、江島神社鎮座1450年(平成14(2002)年)を記念して建立されました
「江島縁起」全五巻のうち二巻目の弁財天降臨図
さぁ、3つのお宮を参拝しましょう
江島神社には江島大神(えのしまおおかみ)が祀られています。
しかし、実際には…
江島神社は3つのお宮に分かれていて、天照大神(あまてらすおおみかみ)が須佐之男命(すさのおのみこと)と誓約(仏または神が、衆生を救済しようとする誓い)されたときに生まれた三姉妹の女神が祀られています。
1.辺津宮 2.中津宮 3.奥津宮
(画像出典:Omairi)
1.辺津宮(へつみや):
御祭神:田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)
田寸津比賣命は三女神の次女の神です。
島の一番下に位置していることから、江戸時代までは下之宮(しものみや)とも呼ばれていました。
1) 社 殿:
辺津宮は建永元(1206)年、源実朝(みなもとのさねとも)によって創建されました。
昭和51(1976)年に改修された辺津宮
(画像出典:WEBふじさわびと)
2) 奉安殿(ほうあんでん):
辺津宮の境内には奉安殿があり…
日本三大弁財天の八臂(はっぴ)弁財天(勝運の神様)・妙音(みょうおん)弁財天(音楽・芸能の神様)をお祀りしています。
お勉強
日本三大弁財天とは、江島弁財天のほかに次の二つを指します
3) 八坂神社:
辺津宮の境内にある2番目の神社が八坂神社で…
疫病を始めとするあらゆる災難からお守りくださる建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)をお祀りしています
江島神社鎮座1450年(平成14(2002)年)の
記念事業の一環として築された八坂神社
建速須佐之男命は、前掲の三女神の父神でもあります。
木鼻(きばな。虹梁の柱から突き出た部分)には…
見事な唐獅子が
4) 稲荷社・秋葉社:
八坂神社のすぐ隣にある3番目の神社が稲荷社・秋葉社で…
豊受気毘賣命(とようけひめのみこと)と火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)をお祀りしています。
江の島の随所にあった、秋葉稲荷・与三郎稲荷・漁護稲荷などの小祀を合祀したお社で、江戸時代に火事が多かったことから、このお社が祀られたと伝えられています。
5) 児玉神社:
当日(2月21日)は帰り道に通り過ぎただけでしたが、辺津宮に向かう石段の左手に別の参道があり、児玉神社に続いています。
(画像出典:「神社と御朱印、ときどき寺院」サイト)
児玉神社には、台湾総督を経て日露戦争で日本を勝利に導いた児玉源太郎陸軍大将が祀られています。
大正10(1921)年の創建以来、勝運の神(パワースポット)として仰がれていたそうです。
また、児玉の台湾総督時代の親政を偲んで、台湾からの参拝者も多いそうです。
鳥居も狛犬も台湾の石が使われている社殿
発 見
ところがこの児玉神社…
一昨年から所有権をめぐって係争に入った模様で、競売にかけられて、関東圏の不動産(建設)会社が落札したとの情報もあります。
それはさておき、次は中津宮に参りましょう
2.中津宮(なかつみや):
御祭神:市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)
市寸島比賣命は三女神の三女の神で、その後、インド伝来の仏教信仰と融合調和した神仏習合によって弁財天女(べんざいてんにょ)とされ、江島弁財天(えのしまべんざいてん)として信仰されるに至り、今日まで受け継がれています。
北条政子の父、北条時政と弁財天の物語
江戸時代までは上之宮(かみのみや)とも呼ばれていました。
1) 社 殿:
仁壽3(853)年、慈覚大師(じかくだいし)によって創建され、元禄2(1689)年に、五代将軍徳川綱吉により、本殿・幣殿・拝殿からなる権現造りの社殿(権現造り)が再建されました。
平成8(1996)年に全面改修された(現在の)中津宮
拝殿の格天井には四季折々の花鳥画(154枚)や彫刻が施されています。
木鼻(きばな。虹梁の柱から突き出た部分)には…
見事な唐獅子と象が
2) 水琴窟(すいきんくつ):
社殿脇には水琴窟を構えた庭園があります。
龍の下にある水鉢の中に水を流すと、地中に埋め込んである瓶(かめ)へと水が落ち、反響した音が聞こえます。
その音がまるで「琴の音に似た“妙音”」であることから、いつしか「水琴窟」と呼ばれたとの説があるそうです
発 見
社殿脇で歌舞伎とゆかりのあるグッズ()を見つけました
まずは石灯籠
歌舞伎の市村座・中村座奉納の石灯篭
続いては、尾上菊之助が植樹したというしだれ梅
平成11(1999)年、七代目尾上菊之助が植樹したしだれ梅
(とは言っても、既に伐採されていました )
手形もありました
五代目尾上菊之助(左)と七代目尾上菊五郎(右)の手形
(平成11(1999)年9月、「弁天娘女男白波」の上演記念)
3.奥津宮(おくつみや):
御祭神:多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)
多紀理比賣命は、三女神の長女の神で、「海を守る神」と言われています。
奥津宮は、江戸時代までは本宮御旅所(ほんみやおたびしょ)と呼ばれていました。
(次回のブログでご案内する岩屋を「本宮」と呼んでいたため)
1) 石鳥居:
奥津宮の石鳥居は、養和8(1182)年に源頼朝によって奉納されました。
源頼朝が奉納した石鳥居
2) 拝 殿:
まずは拝殿へ
参拝客は社殿前の拝殿まで
3) 八方睨みの亀:
拝殿天井に描かれた八方睨みの亀は、江戸の絵師酒井抱一の作で、どこから見てもこちらを睨んでいるように見えることで有名です。
拝殿天井に描かれた「八方睨みの亀」
発 見
ところが…
現在のものは平成6(1994)年に復元された片岡華陽の作だということが判りました。
ちなみに、実物は社務所に保管されているそうです。
(出典:江島神社公式HP)
4) 社 殿:
壮麗を極めていた社殿は、天保12(1841)年に焼失。翌13年に再建されたのが、現在の社殿(入母屋造り)です。
拝殿から社殿を仰ぎます。
平成23(2011)年に修復された社殿
奥津宮のお隣にあるのが…
5) 龍宮:(わだつみのみや)
御祭神:龍神
江の島は湧出以来「龍の棲む所」と言われ、古来より龍神は弁財天信仰と習合し、龍神信仰の地として栄えてきました。
圧倒される龍神の彫刻
龍宮の洞窟の内部。こちらが社殿です
平成5(1993)年に建立された龍宮の社殿
密接な結びつきから江嶋縁起に描かれている弁財天と五頭龍(ごずりゅう)の恋物語を始め多くの伝説が残っています。
以上、江の島日帰り観光(全5回)の第2回として、辺津宮・中津宮・奥津宮の三社三拝を中心にお伝えしました。
次回(第3回)は、昼食の模様と、歴史的な遺跡岩屋に行く途中にある稚児ヶ淵をご紹介します
今日の一句です。
「龍天に登る(りゅうてんにのぼる」が仲春の季語です
ではでは
ろっきぃがお送りしました