四十二 緊張
前項とも関係することであるが、人間が道徳的目的のために、いつも美しく生きようと努め、その美の基準をいつも究極的な死に置いているならば、日々は緊張の連続でなければならない。だらけた生を何よりもいとう「葉隠」は、一分のすきも見せない緊張の毎日に真の生き甲斐を見いだしていた。それは日常生活における戦いであり、戦士の営みである。
「打ち見たる所に、その儘、その人々の丈分(たけぶん)の威が顕(あら)はるるものなり。引き嗜(たしな)む所に威あり、調子静かなる所に威あり、詞寡(ことばすくな)き所に威あり、礼儀深き所に威あり、行儀深き所に威あり、
奥歯噛(おくばが)みして眼差尖(まなざしするど)なる所に威あり。これ皆、外に顕はれたる所なり。畢竟(ひっきょう)は気をぬかさず、正念なる所が基(もとゐ)にて候となり。」(聞書第二 一七四頁)
『葉隠入門』三島由紀夫 (新潮文庫) 20240906 P79