学問的にあり得ない「禁煙学会」の危険性 | Cの憂鬱

Cの憂鬱

先の無い高齢者のつぶやきです。Cは、お隣の怖い国、お金、職業などなどの頭文字?、かな。

学問的にあり得ない「禁煙学会」の危険性 私は物理学者ですから、そういった衛生面ではなくて濃度、つまりタバコを吸った人と比べて、喫煙者の横で30年間生活するとどのくらいのタバコの影響を受けるというのを物理的に計算してみました。 そうすると、副流煙の影響というのは実際に喫煙するのと比べるとほとんど何百分の一ぐらいしか関係しないという計算結果となりました。 こういうことを言うとものす ごい勢いで反撃が来ます。私はいろいろとそういう社会的問題についてブログなどに書いてきました。 たとえば、分別リサ イクルが有効かだとかダイオキシンは毒物かとか、地球温暖化は進むのかということについて書いたときと比較しても、タバコに対する反撃はす ごいものがあります。 とても感情的になっているのです。なぜそんなに感情的になるのかと私なりに考えてみました。 人間は自分が言っていること正しいと思っているのなら、それは冷静に議論をすれば自分の言い分が通るわけですから、口調は丁寧なものになります。ところが、自分の言っていることがおかしいということを薄々自分自身もわかっているときには相手を激しい勢いで罵倒しようとするのです。 「禁煙学会」という学会があります。しかしふつうに考えれば禁煙学会などというものが許されるはずはありません。 学問が何かしらの方向を持つということはとても危険なことです。学問はそれ自体 に力がありますから、方向性を持った学問というのは時に思想の強制にもつながります。そのいちばん顕著な例がアド ルフ・ヒトラーのナチスドイツでした。 「ゲルマン民族は優れていて他の民族は劣っている」という政治的な命題が最初にあって、それに基づいて学会や博士論文審査などが行われました。その結果、とにかくゲルマン民族が優秀で他の民族は劣っているのだという博士論文がどんどん通るようになりした。 そのようなことが行われた結果がどうなったかと言えば、みなさんもよく知っているユダヤ人の大量虐殺に結びつきました。 学問とはそういう力を持っていますから、本物の学者は禁煙学会のような方向性を持った学会を嫌います。現在も禁煙学会はまだ存在しますが、これに所属する学者や医師の権利は剥奪されなければいけないと私は考えます。 タバコを吸うことによって人間の身体にどういう影響があるか、脳神経細胞はどうなるのか。喫煙行為は人間の文化に 何をもたらしてきたかということを議論するのであれば学問的な意義はあるでしょう。 そういった議論をするのが学会の目的であって、「禁煙をしろ」というのは学会ではなく、政治運動であり社会活動です。ですから、方向を持った学会というのは存在しないし、方向を持った学会は存在してはいけないのです。 『フェイクニュースを見破る 武器としての理系思考』武田邦彦 (ビジネス社刊) R060615 P123