コロコロ変わる「嫌煙派」の主張 | Cの憂鬱

Cの憂鬱

先の無い高齢者のつぶやきです。Cは、お隣の怖い国、お金、職業などなどの頭文字?、かな。

コロコロ変わる「嫌煙派」の主張 最初は「タバコを吸うと肺がんになる」ということでタバコ追放キャンペーンが始まったわけですが、これはそのうちに「どうもおかしいのではないか」ということに気づきます。 タバコをただ吸って、本人が肺がんになって死ぬということであれば、それは本人にタバコを吸ったときに肺がんになる可能性を十分に示せば、後は本人が選択すべきこと。強制的にタバコを追放することではありません。 成人というのは自分の行動については自分が責任を持つということですから、タバコを吸ってその人が肺がんになったとしても「だからタバコを吸うのを止めろ 」と社会が指示することはできないはずです。 禁煙運動が始まってしばらく経って、今度は「タバコを吸うと気管や肺の病気になる。その治療には保健医療費が使われる。保健医療費は国民全体が負担するものだから、個人の趣味でわざわざ病気になる人の分を払うことはできない」という奇妙な意見が出てきました。 そういうことを言い出してしまえば、もうすべての病気やケガにも同じことが言えてしまいます。 たとえばクルマに乗れば排気ガスが出ます。そうすると税金を使って公害防止策を行わなければなりません。交通事故も起きますから、各警察署は交通課のおまわりさんを備えておかなければいけないのですが、交通課のおまわりさんの給料も税金から支払われます。 どんなことであっても人間の行為は何かしら社会への影響を及ぼします。そう考えたとき「医療費に関係するからタバコを吸ってはいけない」というのはかなり強引な論理と言えるでしょう。ですから、このような理屈もやがて後退していきました。 すると今度は、「タバコを吸ったときに出る副流煙、つまり喫煙者の横にいる人が肺がんになる」というような奇妙奇天烈な論理が出てきました。 そして、これに関しての非常にヘンテコな実験までもが行われることになります。それは「ネズミの気管を切除してそこに 夕バコの煙をずっと連続的に吹きかける」というものでした。 タバコの煙の中には多少の毒もありますから、それを切開した気管に吹きかけ続けたならば‥‥。切開した気管というのは免疫が失われていますし防御力も弱くなっていますから、当然それはタバコの煙に含まれる弱毒によって損傷します。 そうすると、私たちの社会で隣の人が夕ハコを吸ったときとはまったく違う実験なのに、それを参考にして「ほら見たことか、副流煙は悪いじゃないか」ということになります。 すると、今度は論文が出ます。タバコを吸っている夫とそうでない夫と過ごした妻で、どちらが肺がんが多いかという調査が行われました。この場合は結果が判然としなかったので、論文にウソのデータを出してしまいました。 その後、ウソのデータがバレてしまい「生のデータを出せ」ということになったのですが、しかし絶対に 出さないというような事件がありました。 これは1990年初頭のことですが、外国の審査でデータが要求されるという日本の恥のような事件があったのです。 『フェイクニュースを見破る 武器としての理系思考』武田邦彦 (ビジネス社刊) R060614 P120