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さて、最初に取り上げるのは「地震予知」です。 地震を予知できると思っている人は多いのですが、実は地霙を予知しようという動きが起こったのはそれほど昔のことではありません。 第二次世界大戦が終わってからある程度社会が落ち着いてきて、1960年代に入ると日本の高度成長期、つまり産業の発展が本格的になりました。 戦争のあったころにはいつ自分が死ぬかわからないというような状態でしたが、それがかなり安定してきて「一億総中流社会」と呼ばれるような時代になると、多くの人たちが家族の命や財産などを守りたいと考えるようになります。 そんな時代に、「松代(まつしろ)群発地震」が起こりました。1965年からおよそ5年半にわたって頻繁に長野県の松代あたりで地震が起こり、それをマスコミが連日のように「また地震だ、また地震だ」と報道しました。 すると世の中では、まず「地震が起こる」ということを日常的に意識するようになります。そして、それが「自分たちにとって非常に身近な危険である」と考え、これに「どうにか対処しなければいけない」という機運が持ち上がります。 このような状況下で、東京大学を中心とした専門家たちが「地震対策の研究は、お金になるのでは?」と考えたのではないかと私は推察しています。 そして、専門家たちが「地震は予知できる」という理屈をつくった上で、地震が起こりそうな地域を指定し、そこに多くの「地震計」を置いて観測をすることになりました。 その観測値は時期を見計らって発表されました。それと並行して1969年に「地震予知連絡会」というものを設立し、その事務局を「国土地理院」に 置きました。国土地理院は、国土交通省に置かれた特別の機関です。簡単に言えば、国の下請け機関のようなもの。その中に地震予知連絡会なるものをつくり、観測値などから「地震が起こりそうだ」と推定されたときには、地震学の権威と言われる人たちが直ちに集合して、3日以内に地震が起こるかどうかの判定をするというシナリオをつくったのです。 このシナリオは、計画の綿密性やレベルをみると国交省のかなり頭のキレる官僚がつくったものだと思われます。要するに、新たな「利権」を創出したのです。 さらに、1880年に設立されていた「日本地震学会」が活動を活発にし、松代群発地震以降は、地震の予知に関する発表があり、公益社団法人となって今日に至っています。 『フェイクニュースを見破る 武器としての理系思考』武田邦彦 (ビジネス社刊) R060525 P059