作詞家としてデビューして、今年で39年になります。

 

39年!

 

なんてこと・・こんな感じで過ぎていくのですから、

人生は短いです。

 

これまで歌詞を何曲書いたか、

本を何冊書いたか、

全然覚えていないという・・・

前だけを向いて生きてきたと言いたいのですが、

単にちゃらんぽらんだった・・ということです。

 

備忘録として、これまでのエピソードなど綴っていこうと思います。

よろしければ、おつきあいくださいませ。

 

大学を卒業して広告代理店に就職。

入社式の日を1日間違える。

初日からやらかす。

 

41年前💦  

ああ、遥か昔。

男女雇用機会均等法が施行される前。

今の若い人たちの感覚からすると、私たちにとっての「戦前」という感じかもしれません。

 

エピックソニーやゴールドウィンの広告を担当する営業部に配属され、

一番最初に教えられたのは、これでした。

 

部長 コーヒー ブラック

Aさん コーヒー クリームのみ

Bさん コーヒー クリーム、砂糖1

Cさん 日本茶

 ・

 ・

このように、15人分

コーヒーを朝と午後に。

そして、頼まれたときに。

 

こんな時代だったのです。

 

当時、女性が営業などの総合職に就くことは稀でした。

その先輩から言われた言葉、今でも忘れられません。

 

「由美ちゃんは、にこにこしてみんなが働きやすいようにしてくれたらいいのよ」

 

いや、女性の先輩として言うことは、少し違うと思う・・・。

違和感満載でしたが、ある日先輩が、

「さて、ふんどし締め直して行ってくるか」

と言って出て行ったとき(少し違っていてもいいか)と思いました。

 

大量のコピーを頼まれると、紙詰まりやトナー切れにひやひやしながら。

そして大抵の場合、紙詰まりを起こす。

私の後ろに列ができる・・・。

コピーは、今でも苦手です。

 

「アリラン」のリーさんから部長宛に電話があったり、

誰かの不倫相手の女性から毎日電話があったり、

ストライプのシャツに水玉のネクタイをしてくる部長に笑いをこらえたり、

何だか、てんやわんやの日々でした。

 

でも、こんなてんやわんやの日々の一方で、作詞家修行をしていました。

受験勉強のように、毎晩1時、2時まで。

1日サボると、デビューが1日遅れる。

そんな切羽詰まった気概を持ちながら。

この会社に勤めていなければ、今の私はなかった。

作詞家になろうとは思わなかったでしょう。

そのチャンスもなかったと思います。

なので、とても感謝しているのです。

私にとって、会社は学校のようでした。

 

作詞家になるきっかけについてはまた次回に。