あくまで私の場合。

焦っても、じたばたしても何も生まれない。

そう腹を括ってしまった。

 

淡々と、淡々と

整えることを整えて、

いま、できることをする。

できないことを嘆かず、

ないものを数えず、

いま、楽しめることを楽しむ。

 

春から初夏、閉じこもっていた不思議な時間は、

もしかしたらこれまでの人生の中でトップ20に入るくらいのしあわせな時間かもしれません。

少なくとも、ここ数年のなかで、いい時間を過ごしています。

 

何も特別なことはないし、

何も変化もありません。

ただ、穏やかで、濃密な日常があるだけ。

 

帰国中の娘とたわいもない話をし、

ときには時事問題で意見を交わし、娘から学び、

オンライン授業のやり方を教えてもらい、

ごはんを作り、

ごはんを作ってもらい、

こんな何でもないことが、人生の中のかけがえのない宝物になるのだと思いながら、

何でもない、でも祝福された毎日を送っています。

 

いま、世界はまさに変化のとき。

嵐の真っ只中にいる。

それも、これまで封印されてきたようなことがあちらこちらで吹き出して、

人類はいつまで世界をカオスのままにしておくのかと思います。

嵐のあとに、何が生まれるのだろう。

この嵐が去ったあと、美しい創造性が発揮されますように。

 

私たちひとりひとりが、その創造者、クリエイターです。

いま、過ごしている毎日から、創造は始まっている。

何でもない、でも祝福された毎日から。

何でもない・・は、あくまで私の場合、ね。

 

 

世界は美しい。

美しいものであふれている。

そこにフォーカスしよう。