大学生のとき、NHKの国際局報道部でアルバイトをしていました。
日本語放送での雑用係のようなものでしたが、社会勉強になりました。
先日、NHKのテレビでこの日本語放送についてとりあげられていて、この日本語の短波放送とテキストだけで日本語を習得して、仕事に生かしているアフリカのマリの青年を紹介していました。
海外に住む日本人だけでなく、
途上国の人たちにとっての学びの機会になっているんですね。
生きていくために必死に学ぶ。
よりよい仕事をして生きていくために一生懸命取り組む。
自分や家族のため、ということもあるし、
人によっては国をよくするために一生懸命勉強する、ということもあるでしょう。

先日の日本語検定審議会の会議でも、子どもたちの学力低下が著しいことが話題になりました。
小学生のとき、友達のお父さんに
「東大に入ることに意味はあるのですか?」
と聞いたことがありました。
「がんばる力がつくんじゃないかな」
そのお父さんの答えに、すごく納得したことを覚えています。

がんばる力って、大切。
勉強にかぎらず、スポーツでも、お稽古事でも、仕事でも。
人生、どこかの場面で「頑張り時」がありますよね。
大人になってからの頑張り力をつけるためのひとつの機会が、勉強でもあるのではないかなあと思います。

頑張らなくでもいいじゃない。
それぞれの自由!
頑張らないこと、勉強しないことは悪かな?

こんな反論がありそうですが、、
そんなことを言い出したらキリはない。

やっと手に入れることができたトランジスタラジオのチューンを合わせていたら、聞いたことのない言葉の放送が流れてきます。
それが遠い日本からの放送と知って毎日聞きはじめ、マリの青年は胸が躍るのです。
村からバスを乗り継いで、郵便局から送金してテキストを取り寄せる。
そしてそのテキストがぼろぼろになるまで勉強し、青年は日本語で身を立てるまでになるのです。
ここに、「勉強」の原点があるような気がします。

知らないことを、知っていく。
本屋さんに行くと、知らないことが多すぎて泣きたくなります。

勉強細々とだけれど、私は楽しい。