「良いこと」とは相手が喜ぶ現実社会のことである。「人に喜んでもらって良かったね」というのが良いことという。

    

他方、「正しいこと」は当人の「思い込み」に過ぎないことがあり、相手に嫌がられることが多々ある。「何が正しくて、何が間違っているのか」を判断する基準があいまいであり、何よりも「その場の空気」や有力者の一声で間違っているまま,正しいことのように伝わるのが人間社会の特徴である。

 
「正しいこと」は命がけでしなければならない。 例えばガリレオは地動説を唱えたが・・・・社会には受け入れられずに有罪となり,「それでも地球が動く」と言う言葉は有名である。
 

 

「正しいこと」をする人は異端者と呼ばれる場合がある。 

   

 尊敬する鎌田三之助の場合はどうだろう。 国会議員だった自らを農民と同じ姿に変えて「清貧」の村長となった。

   

 干拓事業で地域を豊かにするというのを理想とした彼は「その反対者」をなくすための作戦の必要から,ボロボロの洋服とにぎりめしで報酬の一切を断り、自分のスタイルを決めた。

 

 豊かで平和で強健な村とするため、諸神を合祀して(旧村の14社を鹿島台神社として合祀)村民ともども神前に誓い、村長自身は村の模範となったのも「干拓事業の成功」を目標としたパフォーマンスではないか。

   

 「正しいこと」をするには自己犠牲は当たり前。 自分なりの哲学がなければ成就しないことを悟って行動したのだと考える。

 

「正しいこと」を理解させる工夫や努力が結果して人を導く。これを実行することだ。


 場の雰囲気という「空気」で流されることなく,自らの信ずる道を貫徹するためには「清貧」こそ近道と「わらじ村長」鎌田三之助翁が出した答えだったと思うこの頃である。