地震、雷雨、猛暑・・・
最近、なんか夜に雷雨があったり、その翌日は猛暑だったり、時々強い地震がおきたり・・・
何かと大惨事につながりそうな出来事(+異常気象?)が起きている。
今のところ、自宅と会社が駅の近くということもあり、大濡れしたりといった自体にはいたっていない。
本当にラッキーだ。
そういえば、8月も中旬なり、この猛暑も早く終わってほしいものである。
ビジネスの鉄則
ビジネスって、焦ると負けだと思う。
微妙な駆け引きの中、いかに余裕・ゆとりをもって、交渉に望めるか、これが大事なのだ。
確かに、焦る気持ちは、時としてある。
しかし、焦る気持ちが相手に伝わると、交渉ごとでは、不利になるケースがあるのだ。
私は、常に冷静さを心がけたいと思う。
もちろん、一定の駆け引きも必要で、交渉が延び延びになるのは必ずしもよろしくないのも確か。
まだまだ勉強不足ゆえ、いろいろな人から学んでいきたい。
何かと忙しい週末
今週末は、何かと会社関連でやることがたくさんある。
週末にこのような作業があると、心がなかなか休まらない。
しかし、やらねばならないのだ。
来週は、もう少しのんびりできるのかなぁ~って願いを込めている自分がいる。
そういえば、多くの友人は、お盆休みでどこかに遊びに行っている。
羨ましくも思えるが、今自分がしていることは将来への投資であり、必ずリターンがあると信じている。
つまり、将来、その分以上に、人生を楽しみたいと思う。 (ホント、夢見たいなことを語ってますが、実現させます・・・)
土曜日の出社、外では雷?
今日は土曜日でしたが、任意で会社に出社し、仕事をした。
昨晩の激しい雷雨とは一転して、今日は蒸し暑い一日だ。
しかし、蒸し暑いとはいえ、日差しはない。
こんな中、クーラーのもと、もくもくと仕事をしている自分がいる。
毎週末、会社に出社しているわけではないが、時にはこういう日もあって良いのではないか。
あっ、そういえば今日は東京湾の花火大会ではないか・・・
でも今、外で雷が鳴った。
また、今晩は雷雨なのだろうか。
いずれにしても、そろそろ家に帰ろうと思う。
食習慣
最近、毎朝、朝食を食べていない。
お昼ごろになると時々空腹に襲われることがある。
時々、お昼すら食べないこともある。
夕方と夜の2食という食生活にある程度体も慣れてきた。
健康的に、これは問題ないのだろうか。
時々、自身の健康について、考えてしまうことがある。
今のところは、なんとも問題が無いようだ。
束から取れたバナナ
今日の朝、会社近くの八百屋で思わぬ光景を目にしてしまった。
それは、八百屋のお兄さんが束から折れたバナナを同じ束に差し込んでいた。
まるで、何事も無かったかのように、きちんとしたバナナの束が商品棚に並べられた。
このままでは、お客さんは気がつかず、購入してしまうだろう。
そして、自身が家に持ち帰る途中で、何らかの理由で束から取れてしまったと考えてしまう可能性があるだろう。
このお店側の行為は、倫理的に許されるのだろうか。
店側からすれば、一本のバナナとて廃棄したくないだろうが、この行為は欠陥品の欠陥部分を隠し、消費者を欺いているではないか。
とはいえ、私はその場を過ぎ去ってしまった・・・
ダブルブッキング
仕事でアポイントをたくさんとると、まれにスケジュールに書き忘れることがある。
そこでダブルブッキングが発生したりして、相手に迷惑をかけてしまうのだ。
何事もなくうまく収まってしまえばラッキー。
こういうことがないよう、もっと効率よくスケジュール管理をしていければと思う。
まだまだ私もうっかりで、こういう事態を招くことがあり、まだまだ改善しないといけない点がたくさんあると感じている。
じっくり一つ一つ解決していきたいと思う。
日焼け
先日、外の日を浴びれる環境に長時間いたら、少しは肌が赤く焼けた。
私は、肌質が白く、ナイーブなのだ。
だから今でも、ちょっとヒリヒリして、痛みを感じるかな・・・
またm今でもうっすらと焼けた部分とそうでない部分の違いが見える。
でも、日を浴びることで、有害な紫外線も受けるが、体にとって必要な栄養素も作られることを以前家庭科の時間で習ったような気がする。
植物でいうと、光合成に近いのかもしれない。
そういう意味で、人も、健康を維持するため、ある程度の日は必要なのだと思う。
人生における風向き
長いようで、短い人の一生において、何かのふとした出来事・選択をきっかけに人生の風向きが大きく変わることがある。
時には、人生の岐路とも言われることもある。
良いほうにも、悪いほうにも風向きは変わりうるのだ。
中国の三国志を知っている人は多いだろう。
劉備玄徳が諸葛亮孔明を三顧の礼で郡市に迎えたこと、孫権・劉備の連合軍が赤壁の戦いにおいて、100万もの曹操軍と戦い、孔明が風向きを予測し、火攻めで曹操軍に大勝利したこと・・・
上にあげた例は、一個人も去ることながら、周りの集団にも大きな影響を与え、風向き・流れを大きく変えたのだ。
私もこれまで幾度か経験したことがあり、良いほうにも悪いほうにも風向きが変わったことがある。
運もついていたせいか、一度悪くなっても、さらに風向きを変え、良い方向に流れを変えたことも多い。
そして、今自身の心に問いかける。
風向きが次に大きな変わる日が近いのではないか。
より良い方向に風向きを誘導するため、一段と気を引き締めねばならない。
心・魂が今一度ひそかに燃え上がろうとしているのだ。