水俣と福島、ともに「国策企業」が悲劇を起こした地。
3.11に衝撃を受けた藤原と、水俣病を生涯のテーマにした石牟礼が語り合う。

 



石牟礼

<水俣にとっては会社(=チッソ)は恩人(…)。
それはいまでも根強いですよ。(…)
私の本なんか本屋さんが表に出してくれない。(…)
『苦海浄土』なんか売れないそうです。(…)
私の書くものにはチッソの悪口が書いてあるにちがいないと>

藤原

<やっぱりまだチッソに対してのシンパシーというか
思い入れを持っている人はたくさんいるんですか>

石牟礼
<たくさんいらっしゃいます>

藤原
<これだけ結果が出ていても、やっぱりそうですか>

石牟礼
<はい>          (P.62-63)



石牟礼
<(…)チッソは(…)電力会社をつくって
そこからまず電気を引いたんですね、水俣へ>

藤原
<農耕民族や漁民もそうですけれど
第一次産業で飯を食っている民族というのは
ほかからやってきたものを神様だと思うということを
ある人類学者が書いてます>

石牟礼
<解釈ができないときは神様にする>

藤原
<ニューギニアのほうの話ですが、でかい西洋の帆掛け船が来た。
それを神様だと思って拝むんですね。ほかからきた得体の知れないものを。
ある意味で漁民だとか農耕民族というのは、自分たちが何かつくっているんじゃなくて
与えられているわけです、自然から。
魚も、やってきたものを取る。
田植えにしても、田植えして、あとはお天道様とか水が育ててくれる。
常に大きなものから与えられているわけですね。
だから、何か得体の知れない大きいものが来たら
それを信じ込んでしまうような心情が働くのではないでしょうか。(…)
チッソというのは、とくに光に乗ってご来光のようにポンと来たわけだから
最初にこれが来たというのは、まさに神様ですね。(…)
そこから第三の光という神がかった御託宣をひっさげて原発まで行くわけだ(笑)。
それが原点ですね>       (P.59,64-65)

 



後半にいくにつれ、話は
おばあちゃんのアニミズム噺(「昔はよかった」の変形でもある)の要素が濃くなっていくのが
残念至極。