子育てママに伝えたい

ママの手で家族の笑顔を育む

氣功整体・自然療法サロン

田園都市線宮前区

氣功整体にじいろ 浜中あきです♡

 

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自然療法サロン

氣功整体にじいろの浜中あきです♡

 

わたしの振り返りとして

ストーリーを書いています

氣功整体にじいろ浜中あきSTORYプロローグ

 

 

****

 

 

小学6年生のわたし
父はいつものように出張で不在
母と兄は出かけている
リビングに大の字で寝転び
ぼーっと空を見つめながら
ふと思う
 
 
他所の家の子として生まれていたら
わたし、どうだったんだろうか・・

カメラマンの父と厳格な母の元に生まれる

1974年2月東京都多摩市に生まれる

 

父はテレビ局のカメラマン

母は専業主婦

3つ上の兄

父の会社の社宅に住む

ごくごく普通の一般家庭

 

 

 

生まれてすぐに父の転勤で

札幌に移り住む

自然豊かな北海道

 

 

小さなころの記憶といえば

兄と社宅の子たちと

自宅近くの公園で

日が沈むギリギリまで遊んでいた

 

 

カメラマンだった父は休日でも

いつもレンズを向けていた

その先には自然の中で遊ぶ兄とわたし

そんな写真がたくさん残されている

 

 

 

 

幼稚園のときは泣き虫で

いつでも先生に抱っこされていた

何十年経ったいまの自分でさえも

記憶にあるくらい

 

 

小学校に入学した頃から

何がきっかけかはわからないが

泣き虫なわたしはいなくなり

活発な女子になっていった

 

 

学校には行ってたけれど

勉強の記憶は皆無(笑)

友達と楽しく遊んだことばかりが蘇る

学校では・・・

 

 

家ではどうだったか

とにかく母が厳しかった

挨拶・生活態度・言葉遣い

何か発言すると10は返ってくる

いつも母の視線を感じていた

 

 

母は自分にも厳しい

決して弱音は吐かない

私たち子どもにも

その厳しさはひしひしと伝わっていた

 

 

友達が「アキちゃんあ〜そ〜ぼ♪」と

誘いに来ても

「まだ宿題終わってないから遊べないの」

と追い返してしまう

「帰ってきてから絶対に宿題するから!!」

は言語道断!

 

 

泣きながら宿題をするけど

平常心ではないから

ますます宿題は進まず

大泣きした記憶も未だに鮮明だ

 

 

笑っている写真が多いのに

母が厳しかった記憶が多いのは

一言で

 

やっぱり厳しかったんだわ(笑)

 

 

父は温厚な人

ドラマの撮影や自然番組の特番など

海外や国内問わずとにかく

出張・不在が多かった

 

 

今でいうワンオペ育児

イクメンなんて言葉もなく

昭和では当たり前だったのだが

母が厳しかったのは

そのせいもあったのだろう

 

 

習い事も兄と一緒にたくさんした

成果の出る兄

それと言って可もなく不可もない

普通な成果の妹(笑)

 

 

完璧を求める母も

妹にはちょっと諦めな空気を

わたしは感じていた

 

 

 

 

***

 

 

楽しい学校生活

小学校6年の夏に転機がやってきた

 

 

東京への転校

 

 

活発だったわたしが殻に閉じこもる

自分の気持ちを出せなくなる

素直に表現することを恐れる

そんな日がやってくるのでした

 

 

この続きはまた次回にドキドキ

 

 

次回は

 

『東京の学校が怖い』をお届けしますウインク

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お読みいただきありがとうございましたラブラブ