【日々の不快を】書き換えました | 私が自分の幸せを見つけるために

私が自分の幸せを見つけるために

人生の後半を過ぎて息子や娘に色々なことがあり自分の生き方を見直しました。
自分らしく自分の心を見つめるということがいかに大切なことか自分の
悩みや不安を自分でフラットに解決できるために学んでいます。

 

 

 

こんにちは。きっこです。

 

毎日、生活をしていると

不快な事があってもスルーして

しまっていました。

 

 

それくらいあるよ。

 

 

それはまだ私の心は大丈夫。

 

 

と、蓋をしてみないふりをしていたのです。

 

 

そして、忙しいとして自分を正当化

していました。

 

 

でも、それを見逃していると

自分に意識がいかなくなって

外側にばかり意識を置いていくのです。

 

 

不快な事は自分からでてきたメッセージ

なのでそれをしっかり聞いてあげる

それが自分との信頼関係になる。

 

 

私は職場では嫌なことはないと

おもっていました。

人間関係も上手くいっていて仕事も

好きです。

 

 

ただ、いつも気になる人がいたのです。

その人をみるとモヤモヤしていました。

 

 

その人は、

ミスをしてもあまり気にしないのです。

そして私が注意をして、「気をつけて」

と言っても何も言わないことがあります。

 

 

もっと仕事に対して集中して

仕事を覚えて欲しい。

 

 

とおもうのです。

 

 

その事に対して

私は私の言うことを真剣に聞いてくれない

私を軽く見ている。

と感じて馬鹿にされた。

 

 

私の話を聞こうとしない。

と感じて情けない、悔しい、悲しい

 

 

そんな感情が出ていました。

 

 

怒りをおもいだして感じてみました。

 

 

ノートに書き出しました。

 

 

そして私はどうなることを望んでいたのだろう

とおもったのです。

 

 

そうしたら、もっと分からない時は聞いて欲しい。

自分の判断でしないでほしい。

 

 

と思ったのです。

 

それを伝えたとしたらどうなったか。

 

 

たぶん、「そうですね。今度から気をつけます」

 

 

と言うだろうと思ったのです。

 

 

相手の立場になったとき

それは、わざとミスしたのではない。

だれでもそうなる。

そういうときもある。

 

 

そして私が自分にそうおもっていたんだと

おもいました。

 

 

自分が自分のことを

「ミスをすることをだめなやつ」と

自分のことをおもっている。

自分に優しくない。

 

 

そうわかったとき愕然としました。

 

 

自分を大切にすると

おもっていた私なのに

こんなに自分に厳しいのです。

 

 

そしてそんなことをする人を

わざわざ自分の前に置いている。

 

 

自分がそのことに気がつくように。

 

 

そしてその人に対して自分は被害者だと

おもいながら、

そんな自分が嫌でその人に怒りをだすことを

ダメな私としていました。

 

 

加害者にもなっていたのです。

 

 

自分を見つめるとこんなに情けない

自分がでてきました。

 

 

そして自分が不快になるのは

自分の見たくない感情でもあったのです。

 

 

自分がそこに不快を感じ

そして気にしないように蓋をしていました。

 

 

吐き出して自分の感情をみつめました。