【ジャッジしていたのは】私だった | 私が自分の幸せを見つけるために

私が自分の幸せを見つけるために

人生の後半を過ぎて息子や娘に色々なことがあり自分の生き方を見直しました。
自分らしく自分の心を見つめるということがいかに大切なことか自分の
悩みや不安を自分でフラットに解決できるために学んでいます。

 

こんにちは。きっこです。

 

 

 

昨日、主人とうまく会話できなくて

気まずくなってしまったのです。

 

 

私は主人に何か言われると

責められていると思ってたときが

ありました。

 

 

それが自分の心をほりさげて

フラットになってみたら

主人は「ただ言っているだけ」

 

と腑に落ちました。

 

 

そして主人とも、穏やかな日々を

過ごしていました。

 

 

それが昨日は、また不穏な時間となり

主人に言われたことが

「責められている」と感じてしまいました。

 

 

それはどうしてだろう。

と自分の心を感じてみました。

 

 

そうしたら、最近の私は

 

「もうそろそろ、いらない物を

処分したら」

 

 

「リビングの本棚の中、片付けたらどう」

 

「ごろごろしないで何かしたら?」

 

と自分に言っている私がいました。

 

 

今の自分を良しとしていないのです。

 

 

のんびりしたんだから、そろそろ

やろうよ。

 

 

とおもっていたのです。

 

 

そしてそれをしない自分を責めていました。

 

 

主人に責められていると

感じていたのは自分が自分を責めていたのです。

 

相手は鏡なのです。

 

相手に感じていることは

自分に感じていることでした。

 

 

だから、主人に責められていると

感じてしまったのでした。

 

 

いつのまにか自分に厳しくなっていました。

 

 

主人がいつも忙しくしているのを

みて自分はごろごろしている。

 

 

そんな自分はだめと思っていたのです。

 

 

なので、何か主人に言われると

罪悪感がでてきて

それを感じなくて済むように

主人に反発していました。

 

 

昨日のことも

ただ、主人は「こうなっているよ」と

事実を言っただけ。

 

 

冷静になると責めていたのでは

ないと解りました。

 

 

私が私を責めていただけでした。

 

 

頑張っている自分を認めていなかったのです。

 

「ある」をみてみたら

 

「毎日掃除頑張っている」

 

「毎日仕事している」

 

「美味しいご飯作っている」

 

そしてただ生きている。

 

そう感じていたら

 

「ない」ほうに矢印をむけていた自分に

気がつきました。

 

 

自分を見失いそうになったら

また立ち止まって自分の心を

みつめよう。

 

 

何をおもっていたのか。

 

それは本当か。

 

自分に語りかけながら

自分と仲良くしていきます。