4年区切りのこの人生~W杯の思い出編~
ここ集中!
横田陽介です。
前回の記事で、「4年後までの目標を3つ掲げる」と書きましたが、ひとまず置いておいて、次回以降に。
サッカー無しで語れないこの人生。もちろんサッカー界、いやスポーツ界でも最大のお祭りであるW杯は毎回、私の人生の節目として大きな影響を受けています。
私が生まれたのが1988年の2月。
1990年イタリア大会はまだ2歳、1994年アメリカ大会の時は6歳、まだサッカーとは出会っていなくて当然記憶にもございません。
1998年フランス大会の時、私は小学校5年生。
登校すると朝からサッカー少年団のチームメイトが、ジダンがどうの、ロナウドがどうのとうるさかったです。
週に一回の練習日に嫌々サボりながら練習するだけで、当時サッカーに対して何の情熱もなかった私にとってはどうでもよく、
夜更かししてまで見るものではありませんでした。
しかし、当時の日本代表エース城彰二がアジア予選で度々見せたゴールパフォーマンスの「前宙」には興味を示して、体操クラブに通ってみたりしていました。
20年後の今、その城さんのサッカー教室を手伝ったり、マレーシア遠征に帯同したり、信じられない事が私の人生には度々起こります。
2002年日韓大会、14歳で中学三年生でした。
前回フランスW杯後に、ひょんなことからサッカー少年団のレギュラーとして試合に出る機会が多くなっていた私は、気を良くして、それまでは誘われても行かなかったチームメイトとの自主練も、毎日一番に行って最後までやるほどにサッカーにのめり込んでいました。
中学に入ってからもサッカー熱に浮かされ続け、弱小だったけれども部活の朝練は欠かさず、午後ももちろん部活して、夜はセリエAを録画で観たり、週末に部活がなければFC東京の試合を観るため東京スタジアム(現:味スタ)に足繁く通っていました。
サッカーに熱中してから初めてのW杯が自国開催。文字通り、大興奮でした。
試合のチケットは取れなかったのですが、当時の私のヒーローだったアッズーリ(イタリア代表)の練習試合を観戦しに、母に頼み込んで一緒にはるばるイタリア代表のキャンプ地、仙台まで行った思い出があります。
この時に観たカンナバーロやインザーギに、ちょうど10年後に会えるとは!
2006年ドイツ大会
高校サッカー3年間を終えた私は幸運にも創成期のフリースタイルフットボールと出会い、大学受験もそっちのけで熱中。
ちょこちょこインターネットに動画を残していたら、たまたま見てくれた人が連絡をくれて、あれよあれよとその人が代表を務めるサッカークラブでコーチとして働きながら週末はフリースタイルフットボールのパフォーマーとして活動をすることになりました。
と、いうことで高校を出て1年目。フリーターと社会人の間のような生活形態でしたがとにかく寝ても覚めてもボールを蹴っていた時のW杯です。
この時のW杯は、コーチの先輩たちと夜な夜な観戦して、当時教えている子ども達と照らし合わせて、「このトッティのプレー、〇〇に見せたい!」など。
私の最初のフリースタイルフットボール仲間である隆明さん(フリースタイル界の知恵袋!RBSSJFのジャッジなど!)や憲ちゃん(言わずと知れたノリクラッチの憲(のり)ちゃん)、拓也くん(日本人初のDSOやWMコンボなど!)とも観た思い出があります。
また、日本が誇るフリースタイルフットボールパフォーマーの球舞が現地のドイツでパフォーマンスをしていたことは憧憬の的でした。
2010年南アフリカ大会
2008年にRBSS世界大会で準優勝したことをキッカケに、プロのパフォーマーとしてのキャリアを歩んでいた私は、
この年はW杯フィーバー中のアジア諸国でパフォーマンスツアーを行いました。
ツアーといってもシンガポールと香港の2ヵ国でしたが、ショッピングモールでパフォーマンスしたり、パブリックビューイングのハーフタイムなどでパフォーマンスしたり、現地のサッカースクールでワークショップを行ったりしました。
香港もシンガポールも自国の代表はW杯本戦どころか最終予選にも残ることが難しいレベルの国ですが、
イギリスが統治していた時代があったことも関係しているのかサッカー熱はすごかったです。
W杯期間中、テレビを付ければ当時の日本よりもサッカーばかりだし、街中の広告はなんでもかんでもサッカー絡めています。
ブックメーカーで盛り上がっているのか、自国以外の試合(というか自国は出てないのに)でも街中のパブでは熱狂していました。
そんなアジアが羨ましく、そして心地よく感じたのもこの頃からです。
2014年ブラジルW杯
この年は、W杯期間中にブラジルに行くことは叶わなかったものの終了後にブラジルに行くことができました。
期間中は日本国内でW杯関連のイベントでパフォーマンスなど。やはり、このフリースタイルフットボールはサッカー関連のエンターテイメントとしてこの時期は特に需要があり4年ごとに私にもちょっとしたバブルが訪れます。
ブラジルへはRBSS世界大会へHiro-Kのアテンドとして行きました。仕事として滞在していたのは実質5日間だけでしたが、せっかくのブラジルということで1か月近く滞在してブラジル周遊しました。
お相手は、直前にRBSSの韓国予選でジャッジをした際に仲良くなった韓国代表のキムテヒ。
サルバトーレ、サンパウロ、リオデジャネイロ、フロリアノポリスとブラジル各地を連れ回しました。
ブラジル人の多くは日本も韓国も中国の一部といった認識なのか、私とテヒがお互いに拙い英語で会話しているのを見ては笑ったり不思議そうにしていました。
フロリアノポリスでは東城利哉という私の盟友で若い時からサッカー王国ブラジル、しかもプロの舞台で戦っているサッカー選手の家に遊びに行ったり、リオデジャネイロでは同じくRBSS後もブラジルに滞在していた各国代表のフリースタイラーと合流して遊んだり、良い思い出です。
この旅で親友と呼べるようになったテヒ、日本に来た時にBall Beat Crewのみんなにも紹介してメンバー入りして、現在も日本と韓国行ったり来たりです。
2018年ロシアW杯
まだまだ記憶に新しいロシアW杯ですが、2か月も経つと完全に過去のものですね。
新しい日本代表も既に始動しているのを見て、私もこのままではいられないと、次のステップに進みます。
さあ、次回のブログからいよいよ目標を書いていきますね。