ジャッジの役割
こんにちは。
今月は、中国でフリースタイルフットボールの大会があります。
毎週末に4地域で国内予選大会。(中国人のみの出場)
7月に4地域で勝ち上がった中国人選手と、世界中から招待された海外選手16人で世界大会を開催です。
私は、今回のヘッドジャッジ(審査員長)として招待されました。
4地域の予選と、世界大会の計5回をジャッジします。
そんなわけで、昨日は重慶の予選大会から帰ってきました。
明後日からは広州予選へ!
その後は、上海予選と北京予選。最後にもう一度北京で世界大会です。
さて、ジャッジについてフリースタイルフットボーラーも、そうでない方も何を基準に判定しているのか色々と疑問があると思います。
そこで、良い機会なので自分の考え方を書いてみます。
いきなり結論、というか極論ですが、
「ジャッジがそれぞれの経験に基づいて、主観的に良いと思った方をあげる」
これにつきます。
だって、結局は「良いと思ったから良い!」これだけです。
大会のオーガナイザーは頭を悩ませて、安くないお金を払ってジャッジを招聘しています。
それは、その「良いと思った」ことに対しての説得力のためです。
そのオーガナイザーの期待があるからこそ、ジャッジは自分の判断に自信を持たないといけない責任があると思ってます。
誰がジャッジをしても100%全員が納得できる判定はできません。
フリースタイルだからこその問題であり、私はそれは良さでもあると思います。
私のすごく良い仲間でブレイクダンサーの某氏は、バトルで負けた後にジャッジに対して「自分の何が悪かったのか?」と聞きに行くことはしないと言っていました。
なぜなら、自分は自分で自分が一番カッコいいと思ってる踊りをした。それで充分。
今回勝てなかったのはそれがたまたま、ジャッジの価値観とは合わなかっただけ。
らしいです。なるほどな~、と思いました。
自分が尊敬してる人がジャッジで、その人にアドバイスされたら嬉しいかもしれないけど、もし仮に自分が嫌いなスタイルの持ち主がジャッジで、その人に媚びたパフォーマンスをして自分を曲げてまで勝負に勝つことは嬉しいのかと想像してみてください。
サッカーみたいに得点で争うものではなく、勝利に全ての目標があるものではないカルチャーだからこその考え方だと思います。
さて、そんな感じでジャッジ個々人がどう判断してるのかはジャッジがプレイヤーに対してリスペクトの気持ちと自信を持って判断してさえいれば、ぶっちゃけどうでもいいと思ってます。
(過去に、「ぶっちゃけ、どっちもどっちでわかんねーから目を瞑って決めました!」なんてジャッジを見た事がありましたが、それは本当に論外)
大切なのは自分で自分に納得することです。
まあ、そんな感じなんですけど、また今度、私がジャッジをする場合はどうやって判断してるかを書いてみますね。
では!
今月は、中国でフリースタイルフットボールの大会があります。
毎週末に4地域で国内予選大会。(中国人のみの出場)
7月に4地域で勝ち上がった中国人選手と、世界中から招待された海外選手16人で世界大会を開催です。
私は、今回のヘッドジャッジ(審査員長)として招待されました。
4地域の予選と、世界大会の計5回をジャッジします。
そんなわけで、昨日は重慶の予選大会から帰ってきました。
明後日からは広州予選へ!
その後は、上海予選と北京予選。最後にもう一度北京で世界大会です。
さて、ジャッジについてフリースタイルフットボーラーも、そうでない方も何を基準に判定しているのか色々と疑問があると思います。
そこで、良い機会なので自分の考え方を書いてみます。
いきなり結論、というか極論ですが、
「ジャッジがそれぞれの経験に基づいて、主観的に良いと思った方をあげる」
これにつきます。
だって、結局は「良いと思ったから良い!」これだけです。
大会のオーガナイザーは頭を悩ませて、安くないお金を払ってジャッジを招聘しています。
それは、その「良いと思った」ことに対しての説得力のためです。
そのオーガナイザーの期待があるからこそ、ジャッジは自分の判断に自信を持たないといけない責任があると思ってます。
誰がジャッジをしても100%全員が納得できる判定はできません。
フリースタイルだからこその問題であり、私はそれは良さでもあると思います。
私のすごく良い仲間でブレイクダンサーの某氏は、バトルで負けた後にジャッジに対して「自分の何が悪かったのか?」と聞きに行くことはしないと言っていました。
なぜなら、自分は自分で自分が一番カッコいいと思ってる踊りをした。それで充分。
今回勝てなかったのはそれがたまたま、ジャッジの価値観とは合わなかっただけ。
らしいです。なるほどな~、と思いました。
自分が尊敬してる人がジャッジで、その人にアドバイスされたら嬉しいかもしれないけど、もし仮に自分が嫌いなスタイルの持ち主がジャッジで、その人に媚びたパフォーマンスをして自分を曲げてまで勝負に勝つことは嬉しいのかと想像してみてください。
サッカーみたいに得点で争うものではなく、勝利に全ての目標があるものではないカルチャーだからこその考え方だと思います。
さて、そんな感じでジャッジ個々人がどう判断してるのかはジャッジがプレイヤーに対してリスペクトの気持ちと自信を持って判断してさえいれば、ぶっちゃけどうでもいいと思ってます。
(過去に、「ぶっちゃけ、どっちもどっちでわかんねーから目を瞑って決めました!」なんてジャッジを見た事がありましたが、それは本当に論外)
大切なのは自分で自分に納得することです。
まあ、そんな感じなんですけど、また今度、私がジャッジをする場合はどうやって判断してるかを書いてみますね。
では!