現役のアーティストでもあり

マイケルジャクソン研究家としても知られる
西寺郷太さんが、
文藝春秋での有名人の「秘めたる恋」特集で、
マイケルとダイアナ・ロスとの記事を寄稿されていました

素敵かつ深い内容でしたのでUPさせていただきます
マイケル・ジャクソン ダイアナ・ロス
死ぬまで愛し続けた「憧れの女性」
西寺 郷太

マイケル・ジャクソン秘めたる恋
2009年6月25日、マイケル・ジャクソンが急逝した。
生前に作成していた遺言状には、
マイケルの三人の子供の養育権と
500億円超と言われる遺産管理について、
「(マイケルの)母親のキャサリンに託す。
もし彼女が遂行できない状況に陥った場合には、
ダイアナ・ロスにそれを引き継いでもらう」
と記されていた。
幼少時から深い交流を持ち、
マイケル自身が「恋心を抱いている」と公言してきたとはいえ、
親族でないダイアナを指名したことに世間は驚いた。
バンド「ノーナ・リーヴス」のシンガーであり、
日本のマイケル・ジャクソン研究の第一人者である西寺郷太氏は、
マイケルの不器用なほど一途な
「ダイアナへの想い」に改めて気づいたという。
1969年、マイケルは11歳にして兄弟グループ
「ジャクソン5」のリード・ヴォーカリストとして、
名門ソウル・レーベル「モータウン・レコード」からデビューした。
その際、同レーベルのトップ・スターであり、
当時人気グループ「ザ・シュープリームス」から
独立したばかりのダイアナ・ロスが
世間にジャクソン兄弟を紹介する役目を果たした。

これは、この時期ダイアナと愛人関係にあった
モータウンのワンマン社長、ベリー・ゴーディ・ジュニアの発案だった。
1944年生まれのダイアナと58年生まれのマイケルには
14歳の年齢差があるが、
マイケルはデビュー当時から彼女に魅せられていたという。
77年に撮影されたダイアナの主演映画
『ウィズ』(黒人版「オズの魔法使い」)の
オーディションに彼女の勧めで挑み、
見事案山子役を手に入れたマイケルは、
その現場で後に≪スリラー≫を共に制作することになる名プロデューサー、
クインシー・ジョーンズと出会う。
ダイアナはデビュー当時から幾度となく
マイケルの音楽キャリアに大きな影響を与えた恩人であった。
ダイアナは美しく、才能があり、魅力的な女性だ。
しかし、幼少時からメディアや大衆に覗かれ続ける
プライバシーのない生活を送ってきたマイケルにとって、
愛する女性の条件として最も大切なことは
「究極の信頼」という一点に尽きたのではないだろうか。

82年、マイケルは雑誌でのインタビューで
「僕はダイアナになら最もプライベートな秘密だって、
なんだって話せるんです。
彼女も僕には秘密を打ち明けてくれる」と語っている。
さらに84年、25歳のマイケルはダイアナについてこう語っている。
「僕にとって、彼女は≪孔雀≫です。
彼女はありとあらゆる色を見せてくれます。」
「姉のような尊敬ではなく、結婚相手として考えています。
なぜ人が年齢差にこだわるのかがわからない……」
その後、男性としてもアーティストとしても成長したマイケルは、
楽曲提供やプロデュースなどの形で
憧れのダイアナに恩返しをするようになる。
最も印象的なシーンは、マイケル自身が
盟友ライオネル・リッチーとともに楽曲を手掛け、
アメリカ中のキラ星のようなスターが集結した
「USA・フォー・アフリカ」の名曲
≪ウィ・アー・ザ・ワールド≫のハイライト、
一番サビの部分で念願のダイアナとのハーモニーを奏でた姿である。
この曲のレコーディング風景からは、
ふたりが互いに誇らしく思いやる表情を垣間見ることができる。
しかし、ふたりの関係はこと恋愛に関しては
(例えば「結婚」のような「表面的」な形では)成就しなかった。
ダイアナはマネージャーであった最初の夫との離婚後、
アンディ・ウォーホール、ライアン・オニール、フリオ・イグレシアス、
そしてロック・バンド「KISS」のジーン・シモンズなど
個性的な強者達と浮き名を流した後、
86年にはノルウェイの船舶王アルネ・ネス・ジュニアと二度目の結婚を決める。

(ダイアナめっちゃキレイだな



)このことにマイケルは計り知れないショックを受けたという。
翌年、思い詰めたかのように≪ダーティ・ダイアナ≫
という過激なタイトルの楽曲を制作したマイケル。
ダーティー・ダイアナ
大西 恒樹さんによる 日本語歌詞
当然メディアやファンはダイアナ・ロスとの関係を推測し騒然としたが、
当のダイアナは翌年の自らのツアーのオープニングに
≪ダーティ・ダイアナ≫を使用するなど、
実にしたたかなプロデュース能力をみせた。
ダイアナは90年代初頭に書かれた「ダイアナ・ロス自伝」で、
サラッとこう回想する。
「(マイケルは)いっしょにいるのが本当に楽しい相手だった。
幼いころの彼と過ごしたのはうれしいが、
最近は会う時間があまりなくて、彼をもっと良く知ることができない。
残念だ。出世するということは人と人を遠ざける。
しかし、いっしょにいようが離れていようが、
彼を大事に思う気持ちに変わりはない」
「私はマイケルが自分の家庭を持って落ち着くのを楽しみにしている」
マイケルは90年代に、
エルヴィス・プレスリーの娘、リサ・マリー・プレスリー、
そして彼の持病であった白斑症の治療のために長年通院していた
皮膚科の看護助手、デビー・ロウと、
二度の結婚をしたが、それらはいずれも長く続かなかった。
そして、マイケルは最も愛する子供達の未来を、
最も愛した女性ダイアナに託した。
このことについては、ヴァイブ誌の創立メンバー、
エミール・ウィルブキンの指摘が興味深い。
「ダイアナ・ロスは五人の子供達を自らの手で育て上げ、
スーパースターの子息として珍しいほど
健全に成長させることに成功した女性なのです」

80年代初頭、ステージで共演した際に
「マイ・ベイビー!マイケル・ジャクソン!」とダイアナに連呼され、
とろけるように喜んでいたマイケル……。
Michael Jackson and Diana Ross
(とろけてますね
)それだけでなく、2000年代に至るまで巷に溢れる様々な動画を見れば、
マイケルが40年間にわたって彼女を愛し続けたことがわかる。
(こちらの記事も合わせてお読みください)
この恋を単なるマイケルの「プラトニックな片思いだ」
と主張する者もいれば、
ある一定期間ふたりは「秘めたる大人の仲」にあったという者もいる。
真実はわからない。
ダイアナがふたりの「恋」について語らないからだ。
そして、その「口の堅さ」こそがマイケルが彼女を信頼し、
愛し続けた理由ではないだろうか、と僕は推測している。
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締めの言葉は、本当に深いですね



マイケルとダイアナとの恋愛に関する話題は
ネット
では、よく見聞きしましたが(おもに女性のファンによるブログやスレッドで)
男性のファン・研究者である西寺郷太さんが、
お堅い雑誌「文藝春秋」でこういった記事を、
ついに書かれたというのは、
日本における「マイケル報道史」の事件だと思います



ダイアナと一緒にいるときのマイケルは、
ほんっとうにデレデレですもんね


ダイアナが再婚したばかりの時の
マイケルの映像もあるけれど、観てるのが辛いくらい
沈んだ表情しているし・・・・・・・・(ノДT)
ブログ主が思うに、
ダイアナ・ロスはマイケルにとっての
「藤壺の宮さま」なんだと思います

光源氏のように(以上に)モテるマイケルは、
いくつかの恋愛や、結婚がありながらも
心の奥底ではいつでもダイアナがいたんでしょうね

一度目の妻、リサ・マリー・プレスリーは
身分が高くても、冒険心に富み、情が深い
「朧月夜」かな?
ニ度目の妻、デビーは
地味な存在感の「花散里」か?
それとも、子供を生んでいるから
「明石の御方」だろうか?
なんて、好き勝手に妄想しております(‐^▽^‐)
たぶんダイアナは、
一生マイケルとの真実を明かさないんだろうな。