いわゆる大国主の国譲りとして知られる神話(特に古事記の神話)においては、
譲らせようとして乗り込む側と、既に、「出雲国」を中心とする「葦原中国」にいて、
それを迎え、結局は、「葦原中国」(の統治権)を譲る側。その二者に分けられる。
* * *
しかし、古事記を読むと、訳が分からない。訳が分からないのは、特に以下の二点だ。一つは、
「大国主」の子であり、「下照比売」の兄である「阿遅鉏高日子根」の政治的な位置づけが不明。
「阿遅鉏高日子根」は、何処からともなく(?)、「下照比売」の夫である「天若日子」の葬儀に現れ、
何処へともなく、去っていく。「葦原中国」の統治権には、まったく関与していない。それは何故か。
もう一つは、「今、汝が子事代主神、如此く白し訖りぬ。亦、白すべき子有りや」という問いに対し、
「大国主」が、「亦、我が子建御名方神有り。此を除きては無し」と答えている部分である。これは、
「葦原中国」の統治権に関わる子のみに言及していると考えれば、その点は理解できるわけだが、
子に位置づける系譜が無いなかで、「我が子建御名方神」と語られるのは、あまりにも、唐突である。
#実のところ、前出の系譜記事を見ると、「大国主神」は、「多紀理毘売」を娶り、
#「阿遅鉏高日子根神」と「下光比売」(下照比売)を生む。「神屋楯比売」を娶り、
#「事代主神」を生む。「鳥取神」(あるいは「鳥耳神」)を娶り、「鳥鳴海神」を生む。
#したがって…「建御名方神」が、「阿遅鉏高日子根神」ではない、と考えるならば、
#「建御名方神」は、「鳥取神」(あるいは「鳥耳神」)、という可能性も、考えられよう。
#だが、一般に、その様に捉えられていないし、捉えられる材料が有るわけでもない。
#古事記には、訳が分からない記述が、それなりに見られる。今回の話も、その一つ。
#依然として、「建御名方神」=「阿遅鉏高日子根神」、という可能性も、捨てきれない。