古事記の「阿遅鉏高日子根神」は、日本書紀においては、
「味耜高彦根神」に作られる。「味」(阿遅)は、借訓である。
そう思っていたが、「阿遅」(味)も、「阿遅」(忿怒)と同語だ。
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なぜなら、「dpt」(味、595)は、【ALHA DL十】(戸神、595)に重なり、
【D】(戸、5)=「土左国」を含意。つまり、【ΘWSA】(孔雀、89)を含意。
「dosa」(忿怒)を含意。実は「dpt」(味、595)は、「Յd」(忿怒、7)を含意。
だからこそ、「味覚」の「味」が、「阿遅」(忿怒)と訓まれる。そういう話だ。
#大事なのは、「dp」(味わう、95)の派生名詞が、「dpt」(味、595)という点だ。(※「経験する」の意あり)
#「dp」(味わう、95)=【SYBA】(白髪、95)=【YMYNA】(右手、152)、つまり、
#魔方陣の「imin」(七)は、数価を見れば、「Յd」(忿怒、7)=「黄泉」(四三)で、
#上述と同様に、まさしく、「dp」(味わう、95)も、「Յd」(忿怒、7)を含意するのだ。
#「dp」(経験する、95)が、「性交」(sexual intercourse)の意を帯びる点にも注意。