倭語の「真」(麻)は、エジプト語の「mՅ‘」(true)それ自体である。ここで大事なのは、
「mՅ‘」(to be in order)=【MHWA】(being、65)=「ME」(Being)=【MAA】(百、54)。
即ち、「真」(麻)=【MAA】(百、54)=【Ṣ】(佐知、100)=「‘nḫ」(鏡)=「R‘」(日神)だ。
#ここで、「間人」(spy)=「烏」(カラス)=「kՅ-r‘-šw」(春日)=「R‘」(日神)なのだから、
#実は、倭語の「間」(麻)についても、エジプト語の「mՅ‘」(true)それ自体と考えられる。
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「烏」(カラス)=「Hasta」(手)=【Y】(手、20)=「utu」(日神)=【XMH】(日神、65)。
これは、エジプトで言えば、「r‘」(日)であり、これは、「šw」(日)でもある。だとすると,
実のところ、漢語の「手」(須)は、エジプト語の「šw」(日)と同源なのだ。そういう訳で、
古事記の「真手」(麻弖)の湯桶よみの「真手」(麻須)は、「mՅ‘-šw」(真日)、と言える。
つまり、「真手」(麻須)=「mՅ‘-šw」(真日)=「mՅ‘-r‘」(真日)である。然るに、此処で,
「マシュマロ」は、【十LGA】(雪、546)のようであって、「天照大御神」(日神)を含意する。
・古事記の「摩須」および「真手」……エジプト語の「mՅ‘-šw」(真日)である。
・古事記の「天津麻羅」の「麻羅」……エジプト語の「mՅ‘-r‘」(真日)である。
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古事記に見える「息長真手王」は、「丹波之河上之摩須郎女」に完全呼応。
「丹波」は、「anāḫu」(to be tired)の派生語の「tānīḫu」(moaning, sighing)で、
それは、「嘆き」(長息)の意である。「息長」は、「丹波」(長息)に他ならない。
然るに、舍頭諫経は、「karašu」(胃)を「長息」に作る。即ち、「丹波」(息長)は、
「karašu」(長息)=「烏」(訶良須)=「kՅ-r‘-šw」(春日)を含意する。この場合,
どうしても、「真手」についても、「摩須」についても、「mՅ‘-šw」(真日)と言える。
むろん、「真手」は、【井】(両児)=【Y】(手、20)=「utu」(日神)を表す。それ故、
シュメール語の「maš」[𒈦](twin)は、エジプト語の「mՅ‘-šw」(真日)と言えよう。
即ち、「息長真手王」の「真手」は、「maš」[𒈦](両児)=「mՅ‘-šw」(真日)を表す。
要するに、「息長」も、「真手」も、天文や占星術に由来する言葉。この点に要注意。