>故、従其国上幸之時、乗亀甲為釣乍、打羽挙来人、遇于速吸門。尓、喚帰、
>問之、「汝者誰也」、答曰、「僕者国神」。又問、「汝者知海道乎」、答曰、「能知」。
>又問、「従而仕奉乎」、答曰、「仕奉」。故尓、指度槁機、引入其御船、
>即賜名号“槁根津日子”。 〔此者倭国造等之祖。〕
(※古事記・中巻より)
上掲は、「ym-wՅt」(海道)を能く知っていたから、「倭」(夜麻登)の国造になった話である。
「ym-wՅt」(海道)において、「ym」(海)は、「imՅ」(優しい, 快い, 親切な, 喜んだ)に掛かる。
加えて、「ym」(海)は、「mw」(水)の集まりなので、「mwt」(母)を含意する。それだからこそ,
「海人」または「海」それ自体が、【AMA】(母、54)と訓まれる。これらの点を押さえるべきだ。
* * *
古事記歌謡30番で、「夜麻登」は「久尓」の「麻本呂婆」、と謡われる。上述に鑑みれば、
「国」(久尓)という言葉は、「ḳni」(母の懐)と見るのがよい。又、「麻本呂婆」に関しては、
先ずは「bw」(所)>「婆」(場)であり、「mՅ‘」(true)>「麻」(真)である。残りの「本呂」は、
「ym」(海)が「imՅ」(快い, 喜んだ)を含意する点から、「hrw」(満足した, 快い, 穏やかな)、
である。「夜麻登」(海道)は、「mwt」(母)を含意し、且つ「imՅ」(快い, 喜んだ)を含意する。
これ故…「ḳni」(母の懐)の(の様な)「mՅ‘-hrw-bw」(本当に快い場所)と褒め称えるのだ。
#上で述べた「国」(久尓)=「ḳni」(母の懐)を理解するに当たっては、
#「祖国」とか「母国」とか、そういう言葉のニュアンスを考えればよい。
#今日、「自分の国」も、「外国」も、「クニ」と言うには言う。だが、恐らく,
#「クニへ帰る」といった表現に於いて、この「クニ」は、やはり「母国」だ。
#倭語の「クニ」には、もともと、「母国」の意味合いが強い…留意すべし。