古事記の「俣尾」と日本書紀の「麻多烏」を把握する | ■朽ち果てた館■

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ARIONの預言解読──音楽に載せて

田道間守 麻多烏とは関係があるのですか?

(※「ジジ」さんのコメントより)

 

この頂いたコメントは、「木俣神」(御井神)が、

田道間守」や「麻多烏」に関係するか、の意。

 

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 ・「太耳──麻多烏──但馬諸助──但馬日楢杵──清彦──田道間守

 

 ・「俣尾──前津見──多遅麻母呂須玖──多遅麻斐泥──多遅麻比那良岐──多遅麻毛理

 

日本書紀が載せる「田道間守」の系譜(上)と古事記が載せる「多遅麻毛理」の系譜(下)は、

微妙な食い違いを見せる。しかし、「多遅麻毛理」の弟に「清日子」がいる点も含めて見た際、

登場する名前は、ほぼ共通している。その共通する名前を、あらためて以下に列挙してみる。

 

 ・「麻多烏」=「俣尾

 ・「但馬諸助」=「多遅麻母呂須玖

 ・「但馬日楢杵」=「多遅麻比那良岐

 ・「清彦」=「清日子

 ・「田道間守」=「多遅麻毛理

 

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こうして並べてみれば、いわゆる訓よみを用いて表記されているものは、全体として言えば,

それぞれの漢字に意味を込めて用いているのではなく、即ち、正訓ではなく、借訓に見える。

清日子」の子は「酢鹿之諸男」と「菅竈由良度美」で、「」=「酢鹿」=「」であってみれば、

この「」=「酢鹿」=「」にしても、先ずは、「須賀」という音形を示すことを主眼としていよう。

そういう観点からすると、古事記の「俣尾」から「thighのtail」の意を汲んでよいかどうか微妙だ。

 

しかし、古事記には、「其の生みし子をば木の俣に刺し挟みて返りき。故、其の子を名づけて、

木俣神と云ふ」と載る。即ち、「木俣神」の「木俣」は、確実に、「treeのthigh」を提示するものだ。

その後、「大俣王小俣王」などの名前が登場する。古事記は古事記として見る立場で言うと、

俣尾」に表記される名前が「thighのtail」の意を提示していると見ることを遮るものは特に無い。

してみると、「木俣」である「」は、「俣尾」と関係する、という見方は、ごくごく自然な見方だろう。

 

*   *   *

 

実のところ、「俣尾」という表記は、同じものを重ねているだけだ。

】(Revati)=【OLY十A】(642)=「双魚宮」=「kun」()。(※【十NYNA】(龍宮642)とも呼ぶ)

ところが…ここで、「木俣」=【BARA HNYWKA】(御井432)も,

MORA】(432)=「mūla」(root)=【KNA】(92)=「kun」()、

である。即ち…「木俣」にしても、「俣尾」にしても、それが表すのは、

ムーラ・アダーラ」の「ムーラ」(根元)。端的に言うと、そういう話だ。

つまり、「母呂須玖」の「母呂」は、「mūla」(root)と同源の可能性あり。

 

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以上を踏まえたうえで…日本書紀の仮名表記の「麻多烏」を眺めてみれば、

この「matawo」≒「matū」は、「mātu」()=「久尓」()を意識すると分かる。

ちなみに、「麻多烏」は、日本書紀で、「麻柂能烏」にも作られる。その場合は、

諸助」(母呂須玖)との関係から、「mṯn」()=「sūqu」[SILA]()、であろう。(※後から詳述する)