>田道間守 麻多烏とは関係があるのですか?
(※「ジジ」さんのコメントより)
この頂いたコメントは、「木俣神」(御井神)が、
「田道間守」や「麻多烏」に関係するか、の意。
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・「太耳──麻多烏──但馬諸助──但馬日楢杵──清彦──田道間守」
・「俣尾──前津見──多遅麻母呂須玖──多遅麻斐泥──多遅麻比那良岐──多遅麻毛理」
日本書紀が載せる「田道間守」の系譜(上)と古事記が載せる「多遅麻毛理」の系譜(下)は、
微妙な食い違いを見せる。しかし、「多遅麻毛理」の弟に「清日子」がいる点も含めて見た際、
登場する名前は、ほぼ共通している。その共通する名前を、あらためて以下に列挙してみる。
・「麻多烏」=「俣尾」
・「但馬諸助」=「多遅麻母呂須玖」
・「但馬日楢杵」=「多遅麻比那良岐」
・「清彦」=「清日子」
・「田道間守」=「多遅麻毛理」
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こうして並べてみれば、いわゆる訓よみを用いて表記されているものは、全体として言えば,
それぞれの漢字に意味を込めて用いているのではなく、即ち、正訓ではなく、借訓に見える。
「清日子」の子は「酢鹿之諸男」と「菅竈由良度美」で、「清」=「酢鹿」=「菅」であってみれば、
この「清」=「酢鹿」=「菅」にしても、先ずは、「須賀」という音形を示すことを主眼としていよう。
そういう観点からすると、古事記の「俣尾」から「thighのtail」の意を汲んでよいかどうか微妙だ。
しかし、古事記には、「其の生みし子をば木の俣に刺し挟みて返りき。故、其の子を名づけて、
木俣神と云ふ」と載る。即ち、「木俣神」の「木俣」は、確実に、「treeのthigh」を提示するものだ。
その後、「大俣王/小俣王」などの名前が登場する。古事記は古事記として見る立場で言うと、
「俣尾」に表記される名前が「thighのtail」の意を提示していると見ることを遮るものは特に無い。
してみると、「木俣」である「俣」は、「俣尾」と関係する、という見方は、ごくごく自然な見方だろう。
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実のところ、「俣尾」という表記は、同じものを重ねているだけだ。
【奎】(Revati)=【OLY十A】(俣、642)=「双魚宮」=「kun」(尾)。(※【十NYNA】(龍宮、642)とも呼ぶ)
ところが…ここで、「木俣」=【BARA HNYWKA】(御井、432)も,
【MORA】(432)=「mūla」(root)=【KNA】(根、92)=「kun」(尾)、
である。即ち…「木俣」にしても、「俣尾」にしても、それが表すのは、
「ムーラ・アダーラ」の「ムーラ」(根元)。端的に言うと、そういう話だ。
つまり、「母呂須玖」の「母呂」は、「mūla」(root)と同源の可能性あり。
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以上を踏まえたうえで…日本書紀の仮名表記の「麻多烏」を眺めてみれば、
この「matawo」≒「matū」は、「mātu」(国)=「久尓」(尾)を意識すると分かる。
ちなみに、「麻多烏」は、日本書紀で、「麻柂能烏」にも作られる。その場合は、
「諸助」(母呂須玖)との関係から、「mṯn」(道)=「sūqu」[SILA](道)、であろう。(※後から詳述する)