「木角宿祢」は、「木臣・都奴臣・坂本臣」の祖であって、「角」(都怒)が,
「都奴」になっている。即ち、「津野」(都怒)も、「都奴」になることがある。
つまり、「野」(怒)であったり、「野」(奴)であったりする…という話である。
* * *
さしあたり、「野神」=「野椎神」=「鹿屋野比売神」、即ち、「ikû」(野)は、
「鹿屋野」(加夜怒)=「kayyānu」(constant)=「土星」を含意する。また、
【KW十RA XQLA】(野椎、1090)=「χρ ό νος」(時、1090)なので,
「κρ ό νος」(土星、510)は、「χρ ό νος」(時、1090)。そう言える。
倭訓の「野」(怒)ないし「野」(奴)は、古代エジプト語の「nw」(時)が該当。
#つまり、「ikû」(野)が、「nw」(時)と訓まれるのは、この「ikû」(野)が、
#【KW十RA XQLA】(野椎、1090)=「χρ ό νος」(時、1090)で、
#「kayyānu」(constant)=「κρ ό νος」(土星、510)だから、であり,
#その意味合いは、「陀流」=「dāru」(eternity)=「久延」、という話だ。
* * *
音楽で言う「ビート」(beat)は、定まった「リズム」(rhythm)を刻むこと。(※【BY十】(間、523)に注意)
「時」(time)を刻むこと。こういうわけで、延々と続く「tu14」(to beat)は、
「dāru」(久延)=【KWN】(土星、97)=【ZWOA】(quaking、97)である。
即ち…「野」(奴)=「nw」(時)は、「椎」(ツチ)=「tu14」(to beat)を含意。
「延々と続く」=「ダルい」=「カッタルい」と捉えると、その「椎」(ツチ)が、
「怠い」(ダルい)とか、「鈍い」(ノロい)の意味を持つことが理解できよう。
即ち、【KW十RA XQLA】(野椎、1090)=「χρ ό νος」(時、1090)は、(※「nw」(時)である)
「野」(奴)=「kayyānu」(constant)=「κρ ό νος」(土星、510)、である。