>滴岩 勝ち得て喜ぶ者よ
>そなた達の玉緒に残れり その土をば
>不二に帰すことぞ 世の東西を結ぶ磐 二にして一なり
>多くを持つ事は 必要無し
>真珠の光 浮かぶ日こそ世に茜さす日ぞ
(※『光の黙示録』191~192頁より)
>今回は、断片的な話‼…「二にして一」なるものを考察する。
>と言っても、【室】=【A】=「二」は、【ALP】(アレプ、132)で、
>【ALP】(千、132)=「一」を含意する、という、それだけの話。
(※既稿“「真珠の光」は「大蛭女の蛭」を含意する”より)
詩的メッセージにおいて、「石」と「磐」は、両方とも登場する。このとき,
何らかの意味で、区別する意図は働いている。しかし、「石之日売」は、
日本書紀において、「磐之媛」であり、漢字としての意味は変わらない。
* * *
然るに【ṢLMA】(石、192)=【KSPA】(銀、192)=【SYNA】(月、152)は、
「sin」(罪)=「ḫīṭu」(crime)=「sāru」(criminal)=「火星」を含意。ところが、
「ḫīṭu」(sin)に当たるシリア語は、【XΘH】(sin、25)=「ḫṭā」(布多)。つまり,
「二」(布多)にして「一」(比登)である言葉は、「ḫīṭu」(罪)という話になろう。
【室】=【A】=「二」は、「愛比売」に当たり、「野」=「鹿屋野比売」にも当たり,
“終わる事の無い「愛」”を含意。即ち、「鹿屋野」(constant)=「土星」を含意。
その【KWN】(土星、97)は、「佐韋」=【ZWOA】(quaking、97)を含意…故に、
「ḫṭā」(罪)に当たる「二」(尓)とは、「ni2」(fear)≒【ZWOA】(quaking、97)、だ。
#したがって、倭語の「土」(迩)は、「ni2」(fear)≒【ZWOA】(quaking、97)。(※シュメール語)
#即ち、【KWN】(土星、97)=「鹿屋野」(constant)を含意する言葉である。
#さらに、「丹」(迩)、即ち、「丹生」(迩布)は、「nḥḥ」(永遠)と見て大過ない。(※エジプトの言葉)
#また、「丹生都」(迩布都)=「nḫwt」(嘆き)=「長息」=「sāru」[IM](息)だ。
#加えて…「丹生都」(迩布都)=「nḫwt」(嘆き)=「長息」=「karašu」(胃)だ。
#さらに言うと、「丹生都」(迩布都)は、「nḫt」(力, 勝利)=「littu」[NÍG.È]か。(※「迩藝」である)