★「二にして一」なるものは、“終わる事の無い「愛」” | ■朽ち果てた館■

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ARIONの預言解読──音楽に載せて

滴岩 勝ち得て喜ぶ者よ

そなた達の玉緒に残れり その土をば

不二に帰すことぞ 世の東西を結ぶ磐 二にして一なり

多くを持つ事は 必要無し

真珠の光 浮かぶ日こそ世に茜さす日ぞ

(※『光の黙示録』191~192頁より)

 

>今回は、断片的な話‼…「二にして一」なるものを考察する。

>と言っても、【】=【】=「」は、【ALP】(アレプ132)で、

>【ALP】(132)=「」を含意する、という、それだけの話。

(※既稿“「真珠の光」は「大蛭女の蛭」を含意する”より)

 

詩的メッセージにおいて、「」と「」は、両方とも登場する。このとき,

何らかの意味で、区別する意図は働いている。しかし、「石之日売」は、

日本書紀において、「磐之媛」であり、漢字としての意味は変わらない。

 

*   *   *

 

然るに【ṢLMA】(192)=【KSPA】(192)=【SYNA】(152)は、

sin」()=「ḫīṭu」(crime)=「sāru」(criminal)=「火星」を含意。ところが、

ḫīṭu」(sin)に当たるシリア語は、【XΘH】(sin25)=「ḫṭā」(布多)。つまり,

」(布多)にして「」(比登)である言葉は、「ḫīṭu」()という話になろう。

】=【】=「」は、「愛比売」に当たり、「」=「鹿屋野比売」にも当たり,

終わる事の無い」”を含意。即ち、「鹿屋野」(constant)=「土星」を含意。

その【KWN】(土星97)は、「佐韋」=【ZWOA】(quaking97)を含意…故に、

ḫṭā」()に当たる「」()とは、「ni2」(fear)≒【ZWOA】(quaking97)、だ。

 

#したがって、倭語の「」()は、「ni2」(fear)≒【ZWOA】(quaking97)。(※シュメール語)

#即ち、【KWN】(土星97)=「鹿屋野」(constant)を含意する言葉である。

#さらに、「」()、即ち、「丹生」(迩布)は、「nḥḥ」(永遠)と見て大過ない。(※エジプトの言葉)

#また、「丹生都」(迩布都)=「nḫwt」(嘆き)=「長息」=「sāru」[IM]()だ。

#加えて…「丹生都」(迩布都)=「nḫwt」(嘆き)=「長息」=「karašu」()だ。

#さらに言うと、「丹生都」(迩布都)は、「nḫt」(, 勝利)=「littu」[NÍG.È]か。(※「迩藝」である)