【星】=【M】=「五十」、および、【張】=【N】=「六十」は、同一視される。
「品陀の 日の御子 大雀」(古事記歌謡47番)などと謡われる。加えて、
【MYM】(Mīm、120)は、【NN】(Nūn、120)に重なる。その意味とは何か。
* * *
先ず、【星】=【M】=「五十」に当たるのは、「šarru」[BÁRA](王)=「ity」(王)。
ところが、【張】=【N】=「六十」=「一」は、「an」(高天)を含意し、さらに言えば、
【危】(宝瓶宮)=「一」(イチ)を含意。どちらも、「iti」(月明り)を含意するわけだ。
「an」(高天)=「dingir」(神)=【ALHA】(神、50)=【M】(水、50)=「梟」は即ち、
「飯豊」=「青海」=「シリウス」を含意する。即ち、【XMΘA】(品陀、71)に関して,(※「pustule」等の意)
【XYLA】(wealth、71)=「mašrû」(wealth)=「Sirius」を含意し、「大雀」に関しても,
これは、「大いなる雀」であって、大いなる【NWGRYA】(雀、393)、言い換えれば,
【KLBA XWRA】(白犬、393)=「シリウス」を含意する。今、このように捉え得る。
#「佐邪岐」(雀)は、「佐邪岐」(porch)であり、【AZGA】(porch、16)であり、
#「四×四」(シシ)だから、「erbu」(四)=「erbu」(日暮里)=「日本」を含意。
#「大雀」は、【張】=【N】=「六十」でも、「日本」(エンリル)=「五十」を含意。
#「玄」(ゆみはり)は、「丹塗矢」を含意…「飯豊」=「青海」=「Sirius」を含意。