日本書紀の皇極天皇四年春正月条に、「猿」の吟(=呻き声)が聴こえて,
時の人が、「此は是、伊勢大神の使なり」と言った…という逸話が出てくる。(※既稿を参照)
この逸話で、声は聴こえても、姿は見えなかった、ということが強調される。
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【YΣWO】(foundation、507)は、ヨハネ黙示録において、よく知られる通り、自らに言及。
「私はアレプであり、タウである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである」と。
【十W】(印、507)は、ナクシャトラの【尾】(Mūla)に当たる。その「Mūla」の意味を調べると、
「root」のほか、「basis, foundation, cause, origin, commencement, beginning」とある。更に、
ペルシャ語の「sar」(head, top, summit)には、「beginning, origin, principle」の意あり。故に、
この逸話の「猿」(サル)は、「sar」(根元)、即ち、【尾】(Mūla)を表し、一方では、「伊勢」は、
「issu」(root, foundation, basis)に由来する【YΣWO】(イシュア、507)を表す…そう言える。
#【ΣWRYA】(初め、729)は、【KMHW十A AMYNA】(真の闇、729)に重なる。
#然るに、その【KMHW十A】(闇、595)は、「Σεί ριος」(Sirius、595)だから、
#「猿」(サル)は、「šarû」[NÍG.TUKU](wealthy)=「シリウス」を表す。さらにまた,
#【ARKWS】(beginnings、409)=【RWXA GLYDYA】(凍った息、409)であって,
#この場合、「猿」(サル)は、「šāru」[IM](長息)をも提示。そういうわけで、逸話で、
#姿が見えないことを強調するのは、【KMHW十A】(blindness、595)を意識しよう。
#【十W】(印、507)=【A十A】(印、504)=【ΣPWDA】(矢、504)=「Sirius」なのだ。