地元のジュンク堂に行ったら、三島敦雄『天孫人種六千年史の研究』が、
復刻されていたので、さっそく購入。初めて目を通している。コメントする。
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>海岸をアハ(Aha)といふは、アハ、アハギ、アハラギ、アハハ、アナバ等に轉訛し、
(※『天孫人種六千年史の研究』(一の76頁)より)
「アハ」が「アハギ」に転訛。そう言ってしまうのは無理がある。別語が後ろに付いて、
「アハギ」という言葉が出来た。これくらいなら、逆に、いくらでも可能性があるだろう。
どちらにせよ、「海岸をアハ(Aha)といふ」の部分は辞書で確認できる。但し、これは、
いわゆるシュメール語ではなく、アッカド語。当書で言う「セミチック・バビロニアン」で,
簡易辞書に載る「aḫu」(arm, side)だ。「“shore” of sea」や「“bank” of river」の意あり。
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>天皇を明津神と申すは、スメル語の火神アグ(Ak)ツ神の義で、日神ウツ(Ut)の
>御子たる火神アグの権化として、この國土に天降り給ふたのである。
(※『天孫人種六千年史の研究』(一の69頁)より)
「日神ウツ」の「ウツ」は、たしかに、シュメールの「日神」の名称である。本ブログでも、
当たり前のこととして書いている。伊勢神宮の「内宮」の「内」(ウチ・ウツ)が、まさしく、
シュメールの「日神ウツ」を意識するものであることは、本ブログでも指摘してきたこと。
しかし、「スメル語の火神アグ(Ak)」については、今のところ、シュメール語のなかにも、
アッカド語のなかにも、確認できない。シュメール語に、「ak」(to do)=「ag」が存在して、
「意志」を含意するから、「火神」を含意する。そう言えなくもないが、何か説明が必要だ。
ちなみに、言うところの日本神話の理解にも解せないところがある。日本書紀を見れば、
「火火出見」は、神武天皇の祖父であり、神武天皇自身も、「火火出見」を負う。このとき、
神武天皇を「火神」の権化とすることも出来なくはないが、あまり一般的な理解ではない。
#読み始めたばかりだから、何とも言えないが…結論を天下りに記すだけで、
#何を、どう検討して、その結論が導かれたのか? 全く書かれていないため、
#鵜呑みにするか、最初から、信じるに足らないものとするか、になってしまう。
#だから、現在の時点で、振り返られることも無くなってしまったのだな、と思う。
#拾える部分は確実に有るはずなので、随時この本に関してもコメントしていく。