>『打ち寄せる波に人魚は歌わず、蟹は月を呼ばないだろう』(93/08/16)
>『龍王は火炎を上げ、深海で真珠を抱く人魚は眠りから覚める…』(94/10/26)
>『ひた寄せる波打ち際に残るのは、人魚の足跡かはたまた龍の涙か…』(94/11/09)
>『深海から泡が立ち昇る、世界を抱く貝は真珠の夢から覚めた様だ』(95/04/28)
>『貝の夢は気泡となり海面に昇り、波涛に乗って浜辺に来る‥嵐の日』(95/07/31)
>『紺青の静かなる世界に泡一つ立昇る、さぁ準備は出来た…と。』(95/11/20)
(※ARIONのハロー・メッセージより)
「人魚」のメッセージを理解するためには、「貝の夢」が「気泡」となり、
海面に昇り、波涛に乗って浜辺に来ること。さらに、「気泡」(=沫)は、
元々「夢」なので、「眠り」を含意すること。その二つを押さえるべきだ。
また、一般に「真珠」が、「人魚の涙」と呼ばれることも押さえるべきだ。
そうすると、「打ち寄せる波」とか「ひた寄せる波打ち際」とかの表現が,
後段の「波涛に乗って浜辺に来る」という表現と重なることが判明する。
* * *
「kulūlu」(crown)があって、「kulīlum」(small crown)があり,
又、「kulīlu」(fish-man)がある。「kulīlu」(dragonfly)がある。
「kulīltu」(fish-woman)があり、「kulīltu」(dragonfly)がある。
ここで、「kulīlu」(fish-man)は、[KU6.LÚ.U18.LU]であって,
結局のところ、いわゆる「人魚」と、「冠」や「蜻蛉」は通ずる。
今、ひとまず、「蜻蛉」(dragonfly)=「阿岐豆」は、横に置く。
【KLYLA】(冠、132)は、【SΘAKY】(Spica、132)に重なり、
其の【角】(真珠星)=「人魚の涙」は、当然、「人魚」を含意。
「真珠を抱く人魚」が「眠り」から覚めること。「世界を抱く貝」、
これが、「真珠の夢」から覚めること。両者は、同じ事を表す。
「貝」が「夢」を見ている間は、「夢」は、「貝」の位置に在る。
ところが、「貝」が、この「夢」から覚めれば、当該の「夢」は、
「貝」の位置を離れ、「泡」となって、海面へと昇るのである。
当該の「夢」が、「泡」と化し、立ち昇り始める(一つ立昇る)。
それが、「スパスシフィカ 浮上の用意 既に終わり」の段階。(※『光の黙示録』231頁)
#ちなみに、「kur-ur2」(base of mountains)=「クルル」とか、
#「kul-lum」(cook)=「クルルm」については、後から述べる。