国語学の領域の音韻的な議論を少しする。但し、結論だけ簡潔に述べよう。
それは、「m音便・n音便」と言われるものに関する議論である。よく教科書に、
土佐日記の「つむだるな」(摘みたる菜の変化形)の例が、m音便の例として、
載っている。当該の「む」の表記は、「mu」ではなく、「m」と見るべき。なぜなら、
これは、あくまでも撥音だからだ。例えば、現代語における「飛んで」の「ん」が、
「nu」と考える人はいない。これと同じである。子音のみの「m」の表記が無くて、
結果的に「む」と表記しているだけのこと。さしあたり、それを押さえておきたい。
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次に、「うま」(馬)の異形の「むま」である。「むま」と書いてあるから、(※表記上の異形)
「mu-ma」という形の異形が有った…と考えている人がいるとしたら、
恐らく、それは誤り。「うま」の二音節目の「ま」は、唇を閉じなければ、
発音不可能だ。その際、一音節面の「う」を発音する段階で、言わば、
一種の省力化により、唇を閉じてしまうことが有るという話だ。試しに、
唇を閉じて、鼻で「んー」と唸るような感じに発音する。短く発音すると、
それが、「むま」という表記の「む」である。「mu」ではなくて、「m」である。
#日本語の音節に、子音だけの音節が有る。それが、
#語頭に立つことも有る。そういった話は、していない。
#発音上の都合で、比較的よく現れる定型的な異音が,
#表記に反映している、という話を、しているだけである。
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以上の話は、「綺」の訓み、「かむはた」乃至「かにはた」についても、
言える。そもそも、「かむはた」の「む」の所、「かにはた」の「に」の所、
これは、「mu」や「ni」では無い。おそらく、撥音と呼ばれるものに近い。
然るに、「播磨」(ハリマ)や「平群」(ヘグリ)の例の如く、「~リ」の形に、
漢字の「-n韻尾」を充てることが有る。この現象は、説明し難いのだが、
事実として、こういうことが有る。この現象を横に置けば、「刈羽田」とか、
「刈幡」も、「綺」(かむはた・かにはた)と同じ語の表記である、と分かる。
この「刈幡」は、【KMHW十A】(闇、595)を表記するもの…と考えてよい。