古事記の説話から見て、「須佐之男」の「須佐」が、少なくとも、
【ΣWΣA】(虱、809)を表すことは、確実だ。「頭之虱」である。(※なぜか「呉公」に変わる)
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ところが、言うまでもなく、「天照大御神/月読命/建速須佐之男命」は、
同時に生まれた、言わば兄弟である。そのうえ、「天照」と「須佐之男」は,
説話上で密接に絡む。となると、【NWHRA D・ΣMYA】(天照、852)が、
複数形の「ケテル」=【K十RYA】(crowns、852)に重なる点も無視できぬ。(※「帽子の男」に注意)
有り体に言うならば…複数形の「ケテル」=【K十RYA】(crowns、852)の、
別表現こそが、「頭」の【ΣWΣA】(虱、809)、という話である。したがって、
「須佐之男」の「須佐」は、アッカド語の「zūzâ」(from time to time)をも表す。
なぜならば、実際に、【ΣWΣA】(虱、809)は、「時々」しか現れないからだ。
#オカルト身体論の事実として、「zūzâ」(時々)しか現れないものが、
#「頭」の【ΣWΣA】(虱、809)である。換言すると、「間」を置きつつ、
#繰り返し現れるのが、【K十RYA】(crowns、852)、ということであり、
#これは、「šanû」[MAN](阿多)の「ṣarru」(flashing)に連動するのだ。
#そういう訳で、「zūzâ」(時々)の元の動詞の「zâzu」(divide)も大事だ。(※【PLGA】(dividing、136)など)
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要するに…「天照」という名前が伝承する実体、「須佐」という名前が伝承する実体、
この二つは、同じものである。伝え方が異なるだけで、中身は、どちらも知っていた。
そういうことである。カバラで言うところの「ケテル」、それをこそ伝えているのである。