古事記には、「神阿多都比売」と載る。「木花之佐久夜毘売」と載る。日本書紀正文には、
「鹿葦津姫」とあり、細注で「神吾田津媛」と記し、「木花之開耶姫」と記す。一書第二にも、
「神吾田鹿葦津姫」とあり、「木花開耶姫」とある。一書第三に、「神吾田鹿葦津姫」とある。
一書第五は、「吾田鹿葦津姫」で、一書第六は、「木花開耶姫」とし、「豊吾田津姫」とする。
続いて一書第七は、「吾田津姫」である。最後の一書第八で、「木花開耶姫」と結んでゐる。
#まとめてみると、「吾田」(阿多)または「吾田津」(阿多都)という名辞があり、(※これは地名)
#「木花之開耶姫」あるいは「木花之佐久夜毘売」があり、「鹿葦津姫」がある。
#古事記は、「鹿葦津姫」に当たる名前を載せていない。が、日本書紀正文は、
#この「鹿葦津姫」という名前を、言わば正式名称とする。この点に注意したい。
* * *
>「βέλος」(矢、307)=【ADR】(Adar、307)=「ātar」(火)に要注意。(※既稿を参照)
>日本の地名の「阿多」は、当該の「ātar」(火)に由来。ところが、ここで,
>「隼人阿多君」は、「海佐知毘古」であり、いわゆる「吠狗」であり、即ち、
>「狗」(犬)のごとく吠えることで、「βέλος」(矢、307)を表すのである。(※「シリウス」)
(※前項“「大市比売」と「丹塗矢」の関係”より)
基本事項を押さえておく。 【KΣΘA】(442)は、発音の違いにより、「bow」(弦)や、
「archer」(人馬宮・弓宮)や、「arrow」(矢)を意味する。キトラ古墳の星座を見ても、
「弧矢」(まさしく弓矢を象る)の矢の先に、「天狼星」(Srius)がある。アッカド語でも、
「šukudu」(arrow)は、「シリウス」の名称である。即ち、この辺りには、「弓矢」があり、
言わば、その「矢」の先(あるいは先端)に、【KLBA D・ΣMΣA】(シリウス、932)。(※「日神の犬」)
こういう話。即ち、【SWSYBRNΣA】(人馬=“centaur”、932)は、「Sirius」まで含意。
然るに、「阿多」は、【ADR】(Adar、307)に他ならず、「βέλος」(矢、307)を含意。
「šukudu」(矢)=「シリウス」を含意…結果的には、「archer」(人馬宮・弓宮)を含意。
してみると、「吾田」(阿多)の「鹿葦津」(カシツ)は、上述の【KΣΘA】(442)を表す。
【KΣΘA】(archer、442)≒【QΣΘA】(archer、612)≒【QΣ十A】(archer、1102)も、
其の淵源を辿れば、「qaštu」[MUL.PAN](弧矢)。今日の「瓦斯」(ガス)等から見て、
「qaštu」[MUL.PAN](弧矢)の表記が、「鹿葦津」(カシツ)と見ても、なんら問題ない。
#ここで大事なのは、古事記が、「佐久夜毘売」と表記することにより、
#「開」の文字、「花」が咲くことから、いったん離れている点だ。つまり、
#古事記の「佐久夜」は、【ZKYA】(conquering、60)を表す。この場合、
#日本書紀の「鹿葦津」(カシツ)が、「kāšidu」(conquering)も示すのは、
#当然のことである。早い話が、「勝つ」とは、「性交」の完遂なのであり、(※または「宇宙的性交」)
#「勝つ」は、【KΣΘA】(矢、442)の【SKRA】(的、402)への命中だろう。
#「桜が咲いた」は現代語なのだが…「サクラ」は、【SKRA】(的、402)に
#掛かり、「咲いた」は、「σαΐτα」(矢、512)に掛かる。何をか況や、だ。