日本書紀の隠された紀年(即ち、崇神10年=西暦247年)によれば、
垂仁元年は、西暦306年。垂仁99年は、西暦404年ということになる。(※前項を参照)
しかし、垂仁天皇条は、普通の紀年において捉えるべき要素も持つ。
* * *
普通の紀年だと、垂仁元年が、紀元前29年であり、垂仁30年が、
西暦1年であり、最後の垂仁99年が、西暦70年である。この間に、
【YΣWO】(507)の生誕があり、処刑があったことは、紛れもない
事実なのだ。然らば、普通の紀年において、言わば、垂仁天皇は、
当該の【YΣWO】(507)と同時代人である。この点を押さえるべき.(※【十W】(507)=「根元宿」に注意)
・「大日日」(開化)──「五十瓊殖」(崇神)──「五十狭茅」(垂仁)
・「大日日」(開化)──「彦坐王」(日子坐王)──「神大根王」
日本書紀は、「彦坐王」の子孫を記さないが…古事記に依拠すれば、
この「日子坐王」は、かなり多くの子を設けており、そのうちの一人が、
「神大根王」である。日本書紀の景行四年二月条に、次のように載る。
「美濃国造、名神骨之女、兄名兄遠子、弟名弟遠子、並有国色」云々。
古事記だと、「三野国造之祖、大根王之女、名兄比売・弟比売二嬢子」。
今日、いわゆるトンデモ本の類において、イエスは、実は生き続けて、
「日本で106歳まで生きた?」などという説が存在。信じがたい話だが、
景行天皇の治世に、「神大根」(神骨)が生きている必要は無いだろう。
即ち…景行四年の段階で、「神大根」の娘(兄弟)が生きていればよい。
古代のトンデモ本である古事記は、「大根王」=【YΣWO】(507)とする。
#もう歴史時代(いわゆる人代)に入って居り、第九代の天皇の子なのに、
#「日子坐王」は、なんと、「天之御影神」(=神霊族?)の娘を娶っている。
#「天之御影神」は、人間ではない。こう素直に読むべきである…つまりは、
#「美知能宇斯・水之穂真若・神大根・水穂之五百依比売・御井津比売」も、
#言わば「天之御影神」(=神霊族?)の血を引く。その中の「神大根」だが、
#さらに、「美知能宇斯──氷羽州比売──印色入日子」という系譜があり、
#「印色入日子」は、横刀壱仟口を「石上神宮」に奉納する。既に述べた通り、(※既稿を参照)
#「石上」(イシゥヘ)は、【YΣWO】(507)=【十W】(印、507)を意識している。
#このあたりを踏まえるなら、「天之御影神」の娘の「息長水依比売」において、
#「水依」(ミヨリ)は、いわゆる「Mother Mary」を意識するもの、と言うしか無い。