>前々項において、述べているが、【十W】(タウ、507)であるところの【YΣWO】(イエス、507)が、
>【ALP】(アレプ、132)であり、【十W】(タウ、507)である、と明言している。【A】(アレプ、2)であり、
>【十】(タウ、500)である、と明言している。これは、元はと言えば、【尾】=【十】=「五百」の名称が、
>シュメールにおける「双魚宮」の一つの呼称である「kun」(tail)に由来することを示しているわけだ。
>即ち、ナクシャトラの「Mūla」(根)=【KNA】(根、92)は、「kun」(tail)に由来する…ということなのだ。
(※前項“「河俣」に関する新知見”より)
古事記においては、【尾】&【心】の天皇に、「意祁」(意富祁)&「袁祁」の諡号が与えられる。
【尾】=【十】=「五百」に対し、「意祁」(意富祁)の呼称が与えられる。然るに、「丸迩臣」の祖、
「日子国意祁都」の妹に「意祁都比売」がいる。さらに、その妹に「袁祁都比売」がいる。ここで、
「意祁都比売/袁祁都比売」の名は、「意祁/袁祁」に呼応するのである。即ち、端的に言って、
記において、「国意祁都」の妹の「意祁都比売」は、【尾】の天皇の諡号、「意祁」に呼応するのだ。
そのさい、「国意祁都」の「国」(クニ)は、シュメールの「kun」(尾)を意識するものと見るほかない。
#「平群」(ヘグリ)とか「播磨」(ハリマ)を参考にすると、
#「kun」(尾)≒「kur」(国)である。もともと同源なのか。
#もし同源とするならば、倭語の「国」(クニ)それ自体が、
#Sumerianの「kur」(国)に由来する、という話にもなろう。