「大穴牟遅」(古事記)を、「大己貴」(日本書紀)と対照すると、何が言えるか。
日本書紀のほうに、「此云、於褒婀娜武智」という訓注がある。まずは最初に、
前半の「大穴」と「大己」を考える。前者の一般的和訓は、母音縮約しないなら、
「おほあな」であり、日本書紀の訓注で示された語形と同じである。その場合に、
迷う部分は何も無い。「大穴」(おほあな)に対し、「大己」(おほあな)なのである。
#一般に、「己」(あな)に関しては、「己」(おの)の交替形と説明される。
#間違ってはいないが…「己」(あな)の用例が、他に見えるのかどうか。
#この「己」(あな)は、セム系の【ANA】(アナ=“己”、64)、とするほうが、
#むしろ素直だろう。西方の言葉が孤例ではない、とすれば、なおさらだ。
* * *
次に、後半の「牟遅」と「貴」を考えよう。後者には、「牟智」という訓注が付く。
「牟遅」(むぢ)に対し、「牟智」(むち)。濁るか、濁らないか、の違いはあるが、
その点は、それほど気にしなくてよい。問題は「貴」(牟智)の語の同定だろう。
新編全集は、「身霊」(むち)とするけれども、それに「貴」を充てる意味が不明。
「貴」(牟智)に関しては、「貴」の意味合いを考えるのが、同定の常道である。
「貴人」の「貴」の度合いが大きいとき、その人は、必然的に「畏れ多い人」だ。
ところが…実は"(to be) scared, terrified"という意味の「mud」[HU.HI]が有る。
したがって、正訓表記ならば、「貴」(牟智)は、「mud」[HU.HI](畏)と見られる。
#古事記の「牟遅」が、「mud」[HU.HI](畏)とするならば、仮名表記であるだけに、
#この「牟遅」は、「mud」[HU.HI](血)も表す…「血」(ち)は、【女】(鷲座)を含意し、
#「宝瓶宮」(Aquarius)を含意するが、これは、冒頭の「大」(おほ)に見合っている。(※「gu-la」に注意)
* * *
以上を踏まえると、古事記の「大穴牟遅」において、「牟遅」は、
実のところ「mud」[HU.HI](畏)や「mud」[HU.HI](血)に加えて、
「mud」[HU.HI](socket)も表す。「大穴」を承けた「牟遅」なので、
むしろ第一義としては、「mud」[HU.HI](socket)、という話である。
「天菩比」が「大国主」(大穴牟遅)に媚び付き、とある点にも注意。(※「菩比」は[HU.HI]を写す)