前項の結論部分だけを、簡単にレビューする。「多坐弥志理都比古神社」の「多」は、
「多臣」の「多」である。古事記で言うならば「意富臣」(太朝臣)の「意富」(太)である。
* * *
「大物主」の孫の「神沼河耳」(綏靖天皇)は、【危】(宝瓶宮)に当たる天皇だが、
「神八井耳」も、「神沼河耳」(綏靖天皇)の同母兄であり、【危】(宝瓶宮)を含意。(※「危」の字義に注意)
これに鑑みると、上述の「意富」は、「queer」などの意の「aḫû」[BAR]と見られる。
* * *
然るに、当該の「aḫû」の「outside」などの意味は、「aḫu」(side)から派生した可能性が高い。
「aḫu」(side)に当たるシュメール語の一つに、「zag」(side)があるが、その「zag」(side)には、
「border」や「boundary」、あるいは「limit」の意味がある。「危ない人」は、「際どい人」。つまり、
もともと「aḫû」(queer)の意味は、当該の「zag」(border)の意味に連なる。いわゆる類義語だ。
ひとことで言えば、「aḫû」(意富)の類義語こそが、「miṣru」(border)である。その点から見ると、
「弥志理」または「弥志理都」という言葉は、この「miṣru」(border)と同源と考えられるのである。
#ところが、さらにSyriacを見ると、【MṢORNA】(592)という言葉があり、(※【ṢOR】(480)の派生語)
#「outrageous」な人、いわゆる奇人変人?を言う。この言葉も面白いが、
#Hebrewに【MṢR】(straits=“瀬戸”、450)がある。特に詩篇116-3には、(※「瀬戸際」に注意)
#【MṢWRY】(477)ないしは【MṢRY】(470)という形で登場する。要注意。
* * *
ちなみに、上述の【ṢOR】(480)の分詞形に【MṢORA】(532)の形もある。
辞書の例文中に、【XYA MṢORA】(abject life、563)とある。したがって、
「miṣru」(border)と、【ṢOR】(despised、480)の関係も押さえるべきである。
古事記の伝承において、「神八井耳」は、「忌人」になった…その点に注意。