大山津見神は、「○○○」と、う けひて、貢進した。このケースでは、
宇気比の具体的な文言が「○○○」と明記されている。これに対し、
「為宇気比猟也」のケースでは、「宇気比猟」をした…と有るのみだ。
前項の通り、「宇気比猟」をした、とは、「うけひ」をして「狩り」をした。
そういう意味である。「うけひ」の具体的な文言は、書かれていない。
しかし…「うけひ狩り」をした、ということは、先ず「うけひ」をしたのだ。
* * *
ところで、古事記を読んでいると、「~時に」と訓まれる箇所を、
「~時に」と、そのまま現代語訳すると、ぎこちない場合があり、
この場合、「~と」(~すると)で繋いで訳すと、概ねスムーズだ。(※詳細は要検討)
仮に「宇気布時」を、「うけふ時に」ではなく、「うけふと」と訳すと、
アスペクトは、極めて単純な動作の完了である。「誓約を言うと」、
という表現ならば、「誓約を言った」ということになる。その場合は、
「為宇気比猟也」と同じように、具体的な文言を略してゐるだけだ。