>対曰、「請与姉共誓。夫誓約之中、必当生子。
>如吾所生是女者、則可以為有濁心。若是男者、則可以為有清心」。
>於是天照大神乃索取素戔嗚尊十握剣、打折為三段、(…以下略…)
(※日本書紀・神代上[第六段正文]より)
とりあえず日本書紀の正文を見れば、「誓約」の口上を素戔嗚が陳述。中身は、
「もし私の生む子が女ならば、邪心ありですよ。もし男ならば清心ありですよ」だ。
それを承けて、天照が、素戔嗚の十握剣を云々して、「田心姫」など三女を生む。(※生む主体は天照)
更に、素戔嗚が、天照の五百箇御統を云々して、「正哉吾勝~」など五男を生む。(※生む主体はスサノヲ)
その直後、なんと天照は、次のように勅(みことのり)する…虚心坦懐に読むべし。
#ここで、極めて大事なのは、「云々して」の部分こそが、天照や、素戔嗚の、
#「生む」という能動的行為に当たるという点だ。自然に生まれるのではない。
* * *
>天照大神勅曰、
>「原其物根、則八坂瓊之五百箇御統者是吾物也。故彼五男、悉是吾児、乃取而子養焉」。
>又勅曰、
>「其十握剣者是素戔嗚尊物也。故此三女神、悉此尓児、便授之素戔嗚尊」。
(※同上)
これは、現代風にいえば、ディベートだが、有り体にいえば、言いがかりだろう。話は
「是後素戔嗚尊之為行也甚無状」(是の後、素戔嗚の行為は乱暴の極みであった)と、
展開する。どうして素戔嗚が敵対的な態度になったか、小学生でも分かる展開だろう。
天照の行為の結果、生まれた、即ち、天照が生んだ子は、三女であった。此の時点で
次に素戔嗚が生む子は、女だろうか、男だろうか、其処が焦点となる…そういう状況で、
素戔嗚が男の子(正哉吾勝~)を生む。駄目押しの様に、続けて4人も、男の子を生む。
作品中の素戔嗚は、「私の清心が証明された」と、胸を撫で下ろしたはずである。読者も、
「素戔嗚の清心が証明された」と思うだろう。然るに、生んだ際の「物根」は私の物なので、
と理由づけして、天照は、「五百箇御統」から生まれた五男を自分の子として取ってしまう。
三女を授けられた素戔嗚は、三女が可愛くないとか、こんなことは思わないとしても、当然、
「自分が生んだ五男を奪われた」とは思うだろう。なにより、「五男」が天照の子という話なら、
自らの(素戔嗚の)清心が証明されたことにはならない。自らの清心の証しを奪われたのだ。(※次項へ)
#大事なのは、「請与姉共誓。夫誓約之中、必当生子」において、
#「生子」が「V+O」という点である。当該の「生」は他動詞だから、
#その動詞の主語に当たる者の行為が、「生」(生む)なのである。