「大山津見神」の娘に「木花知流比売」がいる。たとえば、此処で、
横に「木花之佐久夜毘売」を置いてみれば、「佐久」(咲く)に対し、
「知流」(散る)と理解できる。それはそれで、特に問題はなかろう。
* * *
しかし、「佐久夜」は、さらに【ZKYA】(勝、60)を表す以上、
「qatû」(finish)を含意し、「gamāru」(conclude)を含意する。(※「殉死」のニュアンスを伴う)
且つ、その「qatû」(finish)や「gamāru」(conclude)に当たる、
シュメール語は、「til」に他ならぬ。つまりは、此処において、
いま「佐久夜」(勝)~「til」(qatû)の連鎖が存す。という訳で、
「木花知流比売」の「知流」は、どうしても、「til」(qatû)を表し、
所謂「をはり」(終わり)を含意する。「散る」という日本語には、
「をはり」(終わり)のニュアンスが有る。したがって…そもそも、
「知流」(散る)と見ても、「til」(qatû)というシュメール語を含意。
#翻って言うならば、「知流」(散る)が「til」(qatû)を含意する以上、
#「佐久夜」(咲くや)も、【ZKYA】(勝、60)を含意するということだ。