日本書紀では、「五十日足彦」を「石 田君」の始祖とする…その一方で、
記では、「五十日帯日子」を「春日山君・高志池君・春日部」の祖とする。
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それはさておき…「石田君」の【KAPA】(石、124)は、
【AYLNA】(木、124)に重なり、「三勾」(御諸)を含意。
【壁】や【牛】を意味するところの「伊那毘」を含意する。(※「i-zi」(壁)に注意)
「葛城之高千那毘売──味師内宿祢──山代内臣」。
この系譜の「高千那毘」は、「高千・伊那毘」と考えられ、
したがって、現行の「石田内里町」が極めて注目される。
#「山代内臣」の「内」を地名と見るさい、おそらく一般的には、
#「山城国綴喜郡有智郷」(京都府八幡市内里付近)、とする。
#しかし、いま「木幡」から歩ける程度の「内里」も見逃せない。