墨書土器の「四月八日」とは | ■朽ち果てた館■

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ARIONの預言解読──音楽に載せて

>枝銭をはじめ大量の遺物が出土した細工谷遺跡のSD501では、
>墨書土器も出土数の約6割を占め、多彩な文字が記されている。
>その一例が「四月八日」で、これは釈迦の誕生日とされる花祭り
>(灌仏会、降誕会)にあたる。その日、「百済尼寺」で仏教行事が
>行われたことを示すものであろう。
(※大阪市文化財研究所、“墨書土器「四月八日」”より)

 

上記のほか、井戸から出土した墨書土器に「東井」とある。これは、
単に「東の井戸」を示すと言うより、二十八宿の「東井」を意識する。

 

*   *   *

 

それはともかく、8世紀のいつ頃からは分からないにせよ、
百済尼寺で、いわゆる灌仏会が行われたことを示すのが、(※Vaiśākha祭に当たる)
「四月八日」と記された墨書土器なのだ。此の点に就いて、
異論の余地も無い。推古天皇十四年四月条に「自是年初、
毎寺四月八日、七月十五日設斎」とあり、宿曜経以前には、
インドの月名との単純な対比に於いて、「Vaiśākha」の月は、(※理系的には意味の薄い対比)
中国や日本の暦の「四月」と捉えられていた。こう思われる。

 

#つまり、「三月」(角月)、「四月」(氐月)ということ。
#「春過而夏来良之」は、「角」(カク)の月が過ぎて、
#「香来」(カク)という名の山に、いわゆる更衣の為、
#「白妙」(聖なる少女)の衣を乾すという歌意である。(※「少女宮」に注意)