> この金印は出土状態(地層、関連遺物の有無など)が不明であるため、
>それが実際に1世紀に制作されて1世紀に志賀の島に持ってこられて1600年間
>志賀の島の地中から動かなかったかどうかの検証ができないものであり、あくまでも
>『後漢書』「卷八五 列傳卷七五 東夷傳」の「倭奴國」「倭國」「光武賜以印綬」の記述にある
>印綬であると認識することが文化財としての価値を決定しているものである。よって、
>いずれの説も、この『後漢書』の記述を肯定的にしろ否定的にしろ念頭において
>その文字やその国のさす範囲を検討するものである。
(※Wikipediaより)
何が言いたいのか、奥歯に物が挟まったような言い方だが、ひとまず、
「志賀島」で、「漢、委奴、国王」と刻まれた金印が出土したことは良い。
又、「委奴」の「委」に関し、「倭」の省画とする説が有力という点は確か。
#むろん、「伊都国」とする説も有力だが、
#今は扱わない。この点は了承頂きたい。
* * *
> 南の島で太陽の光をいっぱいに浴びて、緑の芽を吹いたヤシの実となる方向へと
>心は流れていきたがっているにも関わらず、目先の景色に目を奪われて、河の淀みで
>流木とともにとどまってしまい、そのまま朽ち果ててしまう者も多い。また、少し先に
>見える急流や滝の水飛沫を恐れて、そのまま流れて行くのを厭がり、一見頼りに
>なりそうな岩と岩の間に身を寄せた結果、はさまってしまい腐っていく者も多い。
> 実際に南国の島の浜辺に流れ着き、新しい命を芽吹かせることのできる
>ヤシの実は数えるほどになってしまうのは、なぜだろうか?
> 淡水にしか棲むことのできない視野の狭い魚や沢蟹の類のささやく情報に
>耳をかしたり、実際に流れに身を任せていれば危険も少ないのに急流や
>滝の上げる水飛沫の勢いを見て、自滅妄想を抱いたりするからだ。
(※『光の黙示録』134~135頁より)
今ここで確認しておきたいのは、「志賀島」が「南の島」を意味する点。
日本書紀で「日本」は「南国」と言われるが、この背景には、「日下」が、
そもそも「南」を意味するということがある。然るに、引用メッセージだと、
「南の島」は「南国の島」と言い換えられる。結局「志賀」(si-ga)の島は、
「南」の島、「南国」の島、「日下国」(日本国)の島…という意味を有する。
ここで、「日本」(やまと)が「倭」(やまと)である以上、「志賀」(si-ga)とは、
「倭」(やまと)の別名である。金印の「委」(倭)も、「志賀」(si-ga)という話。
#古事記に即すと、この「志賀」(si-ga)の本拠地は、
#琵琶湖を抱える「近淡海」の「志賀」(si-ga)なのだ。
#ならば、【YMM十A】(倭、622)の訓みも納得が行く。(※菊池山哉の「天ノ朝」などの説に注意)