>冬十月癸酉朔壬午、天皇、命木工闘鶏 御田【一本云「猪名部御田」蓋誤也】始起樓閣。
(※日本書紀、雄略十二年条より)
或る本が言っている「猪名部御田」は蓋し誤りである。わざわざ注が入る。
この注に因り、逆に、当該人物を「猪名部」とする本も有ったことが分かる。
>秋九月、木工韋那部真根、以石為質、揮斧断材、終日断之、不誤傷刃。
(※日本書紀、雄略十三年条より)
という訳で、当該箇所の「韋那部」は、上述の「猪名部」と同じと見てよい。
古事記の「韋那君・多治比君」の「韋那」も、やはり一つには「猪名」だろう。
* * *
それはそれとして、ここで注目すべきは、「木工韋那部真根」に対し、
同伴巧者が謡った歌である。「猪名部の工匠(たくみ)、かけし墨縄」
と出てくる。「木工」(こだくみ)が、「墨縄」をかけるところまで行うのだ。
ということは、もちろん「墨縄」を作るのは、「木工」の範疇ということで、
確認可能な【QNBRA】(漢婆羅、565)として、当該人物が数えられる。(※【GNBRA】(369)に掛かる)
#【十MWZ】(Thammuz、565)に重なる以上、この人物は、
#いわゆる「巡礼の一団」に属す。その場合に「漢婆羅」は、
#「巡礼の一団」という話なのだ。「韋那君」も検討を要する。
#ちなみに、この「韋那」(ヰナ)は「winner」(勝者)に掛かる。