少し上代特殊仮名遣いを説明しておく。専門的な議論はやめて、
教科書的な説明に留める。有り体に言えば、日本の上代の場合、
「キ・ヒ・ミ・ケ・ヘ・メ・コ・ソ・ト・ノ・ヨ・ロ・モ」の、13音節については、
それと違う、「き・ひ・み・け・へ・め・こ・そ・と・の・よ・ろ・も」の音節が、
有ったと考えられている。萬葉集の場合、「ミ」(甲類のミ)に対しては、
「弥」、「美」、「民」、「敏」を用いる。そして、「み」(乙類のミ)に対しては、
「未」、「味」、「尾」、「微」を用いる。ここに列挙したのは、音仮名のみだ。(※訓仮名に関しては後稿に讓る)
・「甲類のミ」(そのまま片仮名で「ミ」と記す)……弥、美、民、敏
・「乙類のミ」(便宜的に平仮名で「み」と記す)……未、味、尾、微
たとえば、「神」、「髪」、「上」、「紙」は、現代語では、どれも「カミ」だが、
上代の場合、「神」と「髪」は「カみ」で、「上」は「カミ」である。と言うのは、
「神」と「髪」については萬葉仮名で表記される場合、第二音節の位置に、
「弥」や「美」などの文字が使われることは決してなく、専ら、上に掲載した
「未」、「味」、「尾」、「微」などの文字が使われる。これらの字の、韻類から、
「ミ」(甲類のミ)は現在の「ミ」に近く、「み」(乙類のミ)は中舌母音、とされる。
但し、「モ」の甲乙に関しては、古事記(&萬葉集の一部)にしか見られない。
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之母都家野 美可母乃夜麻能 許奈良能須
麻具波思兒呂波 多賀家可母多牟 (萬葉集3424番)
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たとえば、上掲の萬葉集3424番の場合、すべてを仮名と見れば、「シモツケヤ
ミカモのヤマの こナラのス マグハシニろハ タガケカモタム」ということになる。(※「兒呂」は「ジろ」も有り得る)
しかし、一音節語については、仮名表記の中でも、正訓字で記される場合がある。
また、「兒」を萬葉仮名として使う例が他に見られないから、現行釈文は、次の通り。
つまり、「下つ毛野 みかもの山の 小楢のす まぐはし子ろは 誰が笥か持たむ」だ。(※「ろ」は「ら」の東国方言)
当該の釈文に於いては、「野」の字と、「兒」の字は、正訓表記と見なしているのである。
直前の3423番で「可美都気努」(カミツけノ=上毛野)を謡っているので、「之母都家野」も、
「下毛野」(シモツけノ)と考えられる。但し、「毛」(け)に「家」(ケ)を充てるのは、仮名違い。
注目すべきは…初句の「之母都家野」(下毛野)という表記において、「毛」(け)に、
「家」(ケ)を用い、重ねて結句でも、「笥」(け)に、「家」(ケ)を用いている点。これは、
単なる仮名違いでは無い。異なる音を用いることで、当該箇所を、マークする意図も、
恐らく有る。「けノ」を「ケノ」と発音すれば、少し違和感(聴き耳を立てる状態)が生じる。
むしろ、それを狙ったと思う。わざわざ、「毛」(け)を、「家」(ケ)に、言い換える意図とは、
本ブログの既稿を読めば自明だ。「許奈良能須」(こナラのス)の「能」(の)が助詞ならば、
「須」(ス)は「巣」(ス)と素直に理解すればよい。もともと「毛野」(ケノorケヌ)は、「巣」(ス)。
それゆゑ此の縁語である「家」(ケ)を持ち出すのである。掛詞の場合は甲乙の異例も多発。
そうした全体的状況も踏まえると、「家」(ケ)は、単なる仮名ではなく、表意兼帯の文字だろう。
#3423番で例えば「可美都気能」と記されていたら、「能」は乙類仮名だから、
#助詞の「の」と見られ、「上毛(カミツけ)の~」と解釈されるはず…実際には、
#〔模〕韻の「努」字が使われているので、助詞の「の」と見る余地はゼロだろう。
#「之母都家野」は、間違い無く、「下毛野」を表記するものである。釈文の通り。