「下降三角」は「悪魔」と言われる | ■朽ち果てた館■

■朽ち果てた館■

ARIONの預言解読──音楽に載せて

日本書紀は編年体で記述されている。そのこともあって、古事記に比して、
歴史書の性格が少なくとも見た目からは強い。天武十年(681年)の記事を、
先ず以下に列挙する。この年代の記事は、何らかの記録(原史料)に基づき、
記載されていると一般に考えられている。史学分野では、ほぼ史実として扱う。

  ・1月2日→頒幣帛於諸神祇。
  ・1月3日→百寮諸人拝朝廷。
  ・1月7日→天皇御向小殿而宴之。(中略) 大山上草香部吉士大形、授小錦下位。仍賜姓曰難波連。
  ・1月11日→勅境部連石積、封六十戸。(以下略)
  ・1月17日→親王以下、小建以上、射于朝廷。
  ・1月19日→詔畿内及諸国、修理天社地社神宮。
  ・2月25日→(前略) 「朕、今更欲定律令改法式。故倶修是事。……」 是日、立草壁皇子尊、為皇太子。(以下略)
  ・2月29日→阿倍夫人薨。
  ・2月30日→小紫位当摩公豊浜薨。
  ・3月4日→葬阿倍夫人。
  ・3月17日→天皇、御于大極殿、以詔川島皇子・(中略)、令記定帝紀及上古諸事。大島・子首、親執筆以録焉。
  ・3月21日→地震。
  ・3月25日→天皇居新宮井上、而試発鼓吹之声。仍令調習。
  ・4月2日→祭広瀬龍田神。
  ・4月3日→立禁式九十二條。(中略) 辞具有詔書。
  ・4月12日→錦織造小分・(中略)、并十四人、賜姓曰連。
  ・4月17日→饗高麗客卯問等於筑紫。
  ・5月11日→祭皇祖御魂。是日、詔曰、凡百寮諸人、恭敬宮人、過之甚也。(中略) 以後、若有如此者、随事共罪之。
  ・5月26日→高麗卯問帰。
  ・6月5日→饗新羅客若弼於筑紫。賜祿各有差。
  ・6月17日→雩之。
  ・6月24日→地震。
  ・7月1日→朱雀見之。
  ・7月4日→小錦下采女臣竹羅為大使、当摩公楯為小使、遣新羅国。是日、佐伯連広足為大使、(中略) 遣高麗国。
  ・7月10日→祭広瀬龍田神。
  ・7月30日→令天下、悉大解除。(以下略)
  ・閏7月15日→皇后誓願之大斎、以説経於京内諸寺。
  ・8月11日→大錦下上毛野君三千卒。
  ・8月10日→詔三韓諸人曰、先日復十年調税既訖。(以下略)
  ・816日→伊勢国貢白茅鴟。
  ・8月20日→遣多禰島使人等、貢多禰国図。其国去京、五千餘里。(中略) 是日、若弼帰国。
  ・9月3日→遣高麗新羅使人等、共至之拝朝。
  ・9月5日→周芳国貢赤亀。乃放于島宮池。
  ・9月8日→詔曰、凡諸氏有氏上未定者、各定氏上、而申送于理官。
  ・9月14日→饗多禰島人等于飛鳥寺西河辺。奏種々楽。
  ・9月16日→箒星見。
  ・9月17日→螢惑入月。
  ・10月1日→日蝕之。
  ・10月18日→地震。
  ・10月20日→新羅遣沙㖨一吉飡金忠平・大奈末金壱世貢調。(以下略)
  ・10月25日→詔曰、大山位以下、小建以上人等、各述意見。
  (是月、天皇将蒐於広瀬野、而行宮構訖、装束既備。(中略) 新羅使者、至而告曰、国王薨。)
  ・11月2日→地震。
  ・12月10日→小錦下河辺臣子首遣筑紫、饗新羅客忠平。
  ・12月29日→田中臣鍛師・柿本臣猿・(中略)、并壱拾人、授小錦下位。是日、舎人造糠蟲・(中略)、賜姓曰連。

此の中で特に注目したいのは、天武十年(681年)の【壁】(816日)の月日の、(※【壁】=【B】=「三」に注意)
「伊勢国貢白茅鴟」という記事だ。「618で形成されるライン」は「地面」を表す。
その【APY D・AROA】(地面、501)は、【XWYA HW】(かの蛇、51)を指し示し、
【XWYA QDMYA HW】(かの古の蛇、328)を指し示す。そのことが背景に在る。(※【XWΘRA】(杖、328)に同じ)

#上下ではなく、左右に動く…言わば地を這う。あるいは「光海原自船追来」。
#そういう見え方(?)をするもの──これは「下降三角」の一つの側面なのだ。
#ところが…【壁】=【B】=「三」であり、その【十L十A】(三、1042)という数字は、
#まさしく「下降三角」(142で形成される三角)を表す。此のことが前提に在り、
#「伊勢国」は、【OWDA XWRA】(白い茅鴟、412)を貢ぎ物として献上したのだ。
#【OWDA XWRA】(白い茅鴟、412)は、明らかに、【十L十A】(三、1042)の象徴。(※即ち【MHWA】(三勾、65)の)
#これが、【SΘNA】(サタン、142)に通底するからといって、特に驚くことは無いはず。
#歴史的観点から言うと、当該の「白い茅鴟」の「茅鴟」が「帽子」との掛詞であることが、
#非常に重要だろう。日本書紀が、西暦や月日の数字を駆使している一つの例と言える。