古事記の「長幡部」について | ■朽ち果てた館■

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ARIONの預言解読──音楽に載せて

古事記の系譜的な記事に、「神大根王者、【三野国之本巣国造・長幡部連之祖。】」とある。
素直に受け取れば、古事記筆録の同時代に、「長幡部連」という氏族が存在し、その氏族が、
自らの祖を「神大根王」と主張していて、それが、古事記の記載に反映されたということである。
この場合、その頃の実在氏族として「長幡部連」が確認できるかどうか、この点もまず問題だが、
此処に於いては、最初に古事記というテクスト上の「長幡部連」、それ自体を分析することにする。

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常道として、「長幡」の文字列が他に出てくるかを探してみると、それは無い。したがって、
次に「幡」の文字を探してみると、以下の6箇所(延べ7箇所)に出てくる。件の「神大根」は、
もともと「日子坐」の子だから、「苅幡戸弁」という名前が、最も近接する位置の「幡」である。(※関連が強い)

  ①此御子者、高木神之女、豊秋津師比売命、生子、天火明命、次、日子番能迩迩藝命、二柱也。
  ②次、日子坐王、娶山代之荏名津比売、亦名戸弁、【此一字以音。】 生子、大俣王、次、小俣王、次、~
  ③次、神大根王者、【三野国之本巣国造・部連之祖。】
  ④又、娶日向之泉長比売、生御子、大羽江王、次、小羽江王、次、日之若郎女。【三柱。】
  ⑤故、到坐之時、麗美嬢子、遇其道衢。尓、天皇問其嬢子曰、「汝者、誰子」。答曰、「丸迩之比布礼能~
  ⑥於大刀之手上 丹画著 其緒者 載 立見者 五十隠 山三尾之 竹矣訶岐 【此二字以音。】

上記の②と③の記事は、開化天皇条だが、少し後の垂仁天皇条に、「又、娶大国之淵之女、(※「山代大国」)
羽田刀弁、生御子、石衝別王。次、石衝毘売命」云々とあり、これに続いて「石衝別王者、
【羽咋君・三尾君之祖。】」とある。また、上記の⑥の歌謡だと、「赤幡」に「三尾」が続く形である。

#「神大根」という名前そのものが、月宿の【尾】を表す。即ち、冒頭に提示した系譜は
#言わば「幡」の文字を月宿の【尾】に結びつけているわけだが、「苅幡」も、「苅羽田」も、
#南山城の同一地名であり、故に、「弟苅羽田刀弁──石衝別──三尾君」という系譜も、
#同じように、「幡」(羽田)の文字を月宿の【尾】に結びつけるものとして理解できるのである。
#上記の⑥の歌謡は、やはり、「幡」(羽田)の文字を月宿の【尾】に結びつけている、と言える。

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ところが、日本書紀を見ると、「仍喚戸辺納于後宮。生磐衝別命。是三尾君之始祖也」となっており、
古事記の「弟苅羽田刀弁」に当たる女性が、日本書紀では、「綺戸辺」に作られる。以上の分析の結果、
古事記の「長幡部連」の「長幡」は、「綺」(カニハタ)に関連する…と判明する。「カリハタ」と「カニハタ」は、
自然な音転として認められ、この点はトリビアルだ。それよりも、此処で注目すべきは、「綺」の字義だろう。
第一義は「あやぎぬ」なのだ。一方で、たとえば、豊中歴史同好会の金谷健一氏の「秦氏と宇佐八幡宮」が、
的確に指摘する通り、常陸国風土記の久慈郡の条に、「崇神天皇の世に日女命が筑紫の国から飛来して、
美濃の秦氏に美濃絁の機織を伝えた始祖伝承がみられる」。但し、金谷氏は「美濃の秦氏に」と書かれている。
ここで、正確に言えば、常陸国風土記の記事は、「長幡部」の記事である。つまりは…常陸国風土記においても、
「長幡部」という氏族(この場合は職掌に基づく氏族)が、やはり「綺」(カニハタ)に結びつけられている。その場合、
上記の分析と併せて考えてみれば、古事記の「長幡部連」は、結局のところ「羽咋君・三尾君」に繋がると見てよい。

#当たり前だ。「三尾君」そのものが、月宿の【尾】を表し、(※梵名の「Mūla」は「大根」の意)
#そして、表すが故に、「神大根」に直結しているのだから。