「狭穂彦」の玄孫について | ■朽ち果てた館■

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ARIONの預言解読──音楽に載せて

「狭穂彦/狭穂姫」の兄弟が生まれたのが何時かは定かで無いが、
垂仁2年(西暦307年)の2月9日に「狭穂姫」が皇后となっており、また
垂仁5年(西暦310年)の10月1日以降に、兄弟とも揃って死去している。
物語の展開から見て、この時点で高齢だったとは考えられず、そのさい、
仮に40歳くらいとすれば、生まれたのは西暦270年くらいという話にもなる。

ところで…雄略13年(西暦469年)条に、「春三月、狭穂彦玄孫歯田根命、
「密奸采女山辺小島子」という記事が載り、「子──孫──曾孫──玄孫」
ということならば、「狭穂彦──子──孫──曾孫──歯田根」ということで、
西暦310年から469年までで、約160年の経過であり、これくらいの期間ならば、
「狭穂彦」の玄孫が「歯田根」という記述が、極めて現実味を帯びている(下記)。

  【モデル・ケース1】
  ・西暦310年、狭穂彦が40歳で、子が生まれる
  ・西暦340年、その子が31歳で、孫が生まれる
  ・西暦370年、その孫が31歳で、曾孫が生まれる
  ・西暦400年、その曾孫が31歳で、玄孫が生まれる(歯田根)
  ・西暦469年、歯田根は70歳

  【モデル・ケース2】
  ・西暦310年、狭穂彦が40歳で、子が生まれる
  ・西暦350年、その子が41歳で、孫が生まれる
  ・西暦390年、その孫が41歳で、曾孫が生まれる
  ・西暦430年、その曾孫が41歳で、玄孫が生まれる(歯田根)
  ・西暦469年、歯田根は40歳

  【モデル・ケース3】
  ・西暦310年、狭穂彦が40歳で、子が生まれる
  ・西暦360年、その子が51歳で、孫が生まれる
  ・西暦410年、その孫が51歳で、曾孫が生まれる
  ・西暦460年、その曾孫が51歳で、玄孫が生まれる(歯田根)
  ・西暦469年、歯田根は10歳

その一方、垂仁紀を通常の紀年で見るなら、垂仁5年は、BC25年である。
即ち「狭穂彦/狭穂姫」の兄弟は、BC25年に死んだことになる。此の場合、
もし子や孫や曾孫が、それぞれ125歳くらいの年齢で子供を設けた場合でも、
下に示した様に、西暦469年に「歯田根」は120歳ということになる。そんな歳で、
しかも天皇の采女に手を出したというのだが、こんな話は、あまりにも非現実的。

  【モデル・ケース4】
  ・BC25年に、狭穂彦が40歳で、子が生まれる
  ・西暦100年、その子が125歳で、孫が生まれる
  ・西暦225年、その孫が126歳で、曾孫が生まれる
  ・西暦350年、その曾孫が126歳で、玄孫が生まれる(歯田根)
  ・西暦469年、歯田根は120歳

何が言いたいかと言うと…垂仁5年が西暦310年で、雄略13年が西暦469年なら、
「狭穂彦──子──孫──曾孫──歯田根」という系譜は現実的という話である。
且つ、此の場合、宮崎県に現存する「男狭穂塚/女狭穂塚」についても、年代的に、
それが「狭穂彦/狭穂姫」の墓であったとしても、有り得ないような話ではない。当然、(※伝承に現実味がある)
西都原古墳群は、全体として見れば、4世紀代の古墳も含まれるからだ…検討を要す。